(笑い人)習慣の継続に必要なのは〇〇だ!

習慣の継続に必要なのは〇〇だ!

 

2022年9月のオンラインサロン笑い道月例会(ルナ会)では、シリーズ15で掲載の小池さんからのバトンで、水道橋笑いクラブの担当者としてもおなじみでしたキニンモント早苗さんのお話を伺いました。

笑いヨガリーダー養成講座の中でも早苗さんは自己紹介で笑いヨガの出会いのお話をします。今回は、笑いヨガが継続できた秘訣について、そして何が継続につながったのかというお話しをしていただきました。

 

 

1.自分の人生を変えようとしたとき

人生を変えようと思いました。2009年1月1日から早起きを決めました。朝起きてすぐ根津神社にお参りに行き、そこで毎朝ラジオ体操をすることにしました。

私は神話のふるさと島根の出身ですが、根津神社は現在住んでいる近所でスサノオノミコトを主祭神に持つのです。

通い始めてしばらくしたら、毎朝やってくる不思議な人を見つけました。

大きな木の下で、一人で笑っているのです。

体操のようでもあり、手をたたきながら「ホッホハハハ」声を出したりして、ちょっと変だと思ったのですが、毎日楽しそうです。

 

ラジオ体操の後、すぐに始めるその奇妙な動きを毎日みているうちに、私は好奇心を抑えられず、「これは何ですか?」と聞いてみました。

 

「笑いヨガです。一緒にやりませんか?」と言われたのですが、さすがにお断りしました。

 

次の日もその人は同じ場所で笑っていて、人懐こそうな笑顔で「笑いヨガ、一緒にやりましょうよ」と誘われました。

それが、日本笑いヨガ協会の高田佳子さんでした。

いやだなあと思いながらも、やってみました。

なんでもインドで習ってきたばかりだそうです。
ヨガは知っているけど、笑いヨガなんて聞いてこともありません。

だけど、すごく楽しそうにやるので、一緒につきあって20分程度やっていると、ポカポカしてきました。

運動強度はラジオ体操と変わらないのですが、身体の変化は大きいと感じました。

 

当時、私が人生を変えようと思ったのは、八方ふさがりだと感じるほど問題だらけだったからです。

仕事・家庭・人間関係どれをとってもストレスいっぱい。体調も悪いし、思うようにいかない日々に、心も身体も不調で夜は眠れない。

運動不足もひどかったので、早起きしてラジオ体操に行き始めた矢先、身体の変化を感じられる笑いヨガに出会ったのです。

 

 

2.笑いの効果はすごかった!

「これ、いったい何なの!」そう思いながらも声をかけてしまったばかりに、誘われて始めた笑いヨガですが、私はあっという間にとりこになりました。

笑いヨガでよく眠れるようになったのか、早起きに慣れてきたのかわかりませんが、朝型の生活に慣れました。

1週間ほどした頃でしょうか。
ものすごく気持ちの良い便が出たのです。
腸の形そのままのような立派なもので、子どもの頃以来ではと、懐かしさを感じたほどでした。

私はそれまで便秘と下痢を繰り返していたのです。
それ以来、ずっといい感じに排便できるようになりました。

肩凝りも楽になりました。

 

 

私は英会話スクールを経営し、自分でも教えているのですが、スタミナがついてきたのがわかりました。
疲れなくなったのです。

 

また、私は朝“ひゅるるー”という耳鳴りで起きることが多かったのですが、気づいたら耳鳴りがなくなっていました。

 

近所の小学校でも英語を教えています。
小学生相手ですから、声を張り上げて喉が痛くなることもあったのですが、それもなくなりました。

私のバッグの中からのど飴が消えました。

喉が強くなったこと、そして腹式呼吸が上手にできるようになったこともあると思います。

 

35度台と基礎体温も低かったのに、36度台になり、風邪をひかなくなりました。

 

このように、身体がとても丈夫になってきたのです。

 

私は国際結婚をしています。
国際結婚の離婚率は6割と言われていますが、実はその頃、私も離婚を考えるほど、夫婦仲は険悪でした。

 

母親に相談しても「最初から覚悟の上の結婚なんだから、文句は聞かない」と言われるのです。

 

文化も育った環境も違うわけですから、日本人同士の結婚より難しいことはわかってはいましたが、一人娘の育て方1つについても、いちいち考え方違う・・・。
毎日のことですから参りました。

 

ところが、笑いヨガを初めてからは、いい意味でいい加減になり、私が寛容になってきました。
夫婦仲も、劇的に改善されてきたのです。

 

夫の悪いところばかりが鼻についていたのですが、私が毎朝笑っていると、家庭で笑いが増え、すると夫も笑顔が増え、子どもも良く笑い、穏やかになってきました。

お母さんが笑うだけで、家庭は変わるのです。

 

私はもともとは、良く笑うし、人を笑わせたいのですが、当時は自分が笑えてなかったということに、笑いヨガで日常生活の中での笑いが戻ってから気づきました。

 

英語を教えるとき、笑いあふれる楽しい授業を目標にしています。

仕込んでいったジョークを言ってすべったら、以前は落ち込んでいました。
笑いヨガをするようになってからは、ジョークを外しても気にしなくなりました。

「はい次!」と次のジョークに移ればいいだけです。

 

英語の授業をワクワク楽しいものにしたいという気持ちは変わりありませんが、自分の失敗に落ち込むことはなくなってきたのです。

 

笑いヨガで、身体が変わり、やがて心も変わった!!

 

効果を十二分に体感しているので、笑いヨガは、なくてはならないもの、つまりやめられなくなったのです。

 

 

3.継続できた英語学習、先生・経営者になれたわけ

私は島根で学校を卒業した後、大阪で就職して働いていました。
父の糖尿病が悪化し、いったんは退職して島根に帰りました。
しかし、良くなったので再度大阪で働いていました。

ちょうどバブル経済と呼ばれた頃でした。

初めての海外旅行はOL3人で、シンガポールとタイに行きました。
そういう時代ですから、ブランドの服に身を包み、ブランドバックを持ってハイヒールを履いての初海外旅行です。

そして、そこで衝撃を受けたのです。

 

私たちのような旅行者もたくさんいましたが、同じような年頃の若者が、TシャツとGパンのラフな格好で旅をしているのです。

バックパッカーです。

それがやたらかっこよく見え、私はバックパッカーとして海外を放浪したいと思ったら、自分の服装が恥ずかしくなりました。

 

今も忘れません。
私は帰りのJAL便の中で、機内食もほどほどに、どうやったらバックパッカーになれるのか、戦略を立て始めたのです。

 

まずは、英語ができなければだめだと考えました。
帰国後、すぐにラジオ英会話を始めました。英会話スクールにも行き始めました。

 

ところが、また父が57歳で今度は脳梗塞で倒れたのです。

母が兄弟全員島根に呼び集め、3人兄弟の前で母が宣言したのです。
自分は、若い頃父に苦労をかけられたので、介護はしないと決めている。
あなたたちのうち、誰が面倒を見るのか3人で話し合いなさいと。

 

以前、父の介護をしたのは私なので、今回はごめんだと思いました。

しかし、実家の近所に住む姉は幼い子どもがいました。

弟は就職して北海道に赴任していて簡単に転勤はできません。

結局一番身軽な自分が面倒を見ることになり、会社は長期休職の手続きをして、島根に戻りました。
まだ介護保険が始まる前のことでした。

 

右半身不随となった父の介護が始まりました。
最初の1年ほどは、身体が動かないことに本人の性格も変わってしまい、怒ってばかりいました。

父は当時損保の仕事をしていて、集金も手伝うことになりましたが、私はその資格がないので保険会社に行って勉強させてもらったり、集金に行ったり、介護そのものもがたいへんな上にいろいろすることがありました。

しかし、それは日中の話です。父は、早く寝てしまうので、夜は自由になりました。

だから、英語の勉強は続けられたのです。

もちろん、大阪にいるほど選択肢はないのですが、英語教室を探したり、英語を勉強している仲間を見つけて交流したり、外国人を見つけたら話かけたりしていました。

実家は田舎で、当時はほとんど娯楽もなかったこともあり、集中して英語の勉強をできる環境はありました。

 

その頃、英語学習仲間が主催するBBQパーティで知り合ったのが、現在の夫です。
当時彼はJETプログラムという文科省の「語学指導等を行う外国青年招致事業」で学校で英語を教える仕事で島根に来ていました。

 

介護のために帰ってきた島根での生活ですが、そんないいこともあったのです。

 

 

4.継続の力はイメージ力にあり

私は何でも地道に継続できる人間だと思われたかもしれません。
現実には、必ずしもそうではありません。

資格を取得しようと宅建の全日生の学校に行ったけど、すぐにやめてしまいました。
やってみて、おもしろいと思えなかったし、その仕事をして幸せな自分がイメージできなかったのです。

一言で言うと「足が向かなかった」ということでしょう。

語学が得意かというと、そうでもなかったのです。

これからの時代武器になるだろうと思って始めた中国語の勉強も、続きませんでした。

 

「やっておくとよいであろう」と考えてやっても、続かないことはたくさんあります。

 

笑いヨガに関しては、その効果がすさまじく、だからやめられなくなったというのが本当のところです。

 

英語の勉強に関しては、今はニュージーランド人の夫と結婚し、娘はバイリンガルなので家では英語が主言語ですし、仕事も英語会話スクールの経営で、先生方との会話は英語です。しかし、学びが継続したのは、バックパッカーになりたいという想いです。

「バックパッカーの自分」という強烈なイメージがあったので、継続できました。

イメージというと聞こえはいいのですが、もっと具体的にバッグパッカーの自分を「妄想」したのです。

 

自分が好きなことで、やっていて楽しい、心地よい、望む未来につながると実感できるものだけが、無意識に「足が向くこと」が、継続の力となるのではないかと思っています。

「妄想」なら、誰でもいつでもどこでできます。

夫とは、いまもいろいろありますが、生涯続きそうです。

 

長く続けるにこだわるより、大好きなことをやり続けられる人生が、幸せなのではないでしょうか。

2 件のコメント

  • キニンモントさんとは、笑いヨガでお会いする前に、MPI研究会で一度お会いしていました。その時お名刺を頂いて、珍しいお名前なので覚えていました。数年後に水道橋の笑いヨガクラブで、再会した時はびっくり! 以前よりも若々しい感じでした。
    人生って面白いですね。

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