(笑い人)私らしく生きる!

私らしく生きる!

 

高齢者施設にお勤めの滝沢昭子さん。

職場の雰囲気づくりに笑いヨガを役立てるための情報検索から、笑いヨガに出会いました。

定年が5年延長になり、特養の入居者さんと笑いヨガをするだけでなく被災地の支援でも笑いヨガを役立て、地域での生活にも大きなヒントを得た彼女のお話を、オンラインサロン笑い道の2024年5月のルナ会(月例会)で伺いました。
この原稿は、主に彼女自身が準備されたものです。

 

自由に私らしく!

 1958年昭和33年12月生まれで現在65歳です。
新潟県の小さな村に生まれ、両親と姉と弟の5人家族で育ちました。 

 

私は色黒でチョロチョロ動き回る子で、「口から先に生まれてきた」と言われるほどおしゃべりな子どもでした。
姉弟とも年が近く、よくケンカをしていました。
母はそのたびに私たちをほうきで追いかけ回し、叱りました。
母は後妻として30歳過ぎてからの結婚でしたので、隣近所の目をとても気にして、厳しく躾けられました。

 

田舎は何かあるとすぐに村中に広がります。
噂話は事実とは関係なく面白おかしく伝わり何を言われるか分からないのです。
余計なことは言えないような土地柄であることが、大きくなるにつれ分かってきました。

 

中学生になった頃から、早くここを出たいと考えていました。
生きるのは窮屈で、誰も私のことを知らない所で人の目を気にせず、手足を自由に伸ばす土地で生きるのだと強く思っていました。

 

だから、高校卒業後、就職先を東京と決めていました。しかし、父からは反対されていました。
無事卒業し、いよいよ明日東京へ旅立つというギリギリのときまで父は家を出て行くことを反対していました。

 

東京に来たけど、自由はつかの間だった

田舎を離れ、東京での生活は、毎日が楽しく過ぎるすばらしいものでした。
21歳で結婚しました。

結婚2年目で、父に癌が見つかりました。医者からは、手術はしたのですが、胃がん末期で転移していて、そのまま閉じたと言われました。
入院中の父に私が付き添うことになりました。

父には養女に出した娘がおりました。
余命わずかとなった時、危篤を知らせ、彼女は会いにきてくれました。父は、大変喜びし、元気になりました。
医師からあと1か月は大丈夫と言われ、翌日私は東京に一時帰宅することにして、その晩は実家で休むことにしました。
ところが、翌日の早朝、電話で父が旅立ったと知らせを受けたのです。

 

56歳でした。葬儀にも、養女となった義姉が来てくれました。
私とあまりにも瓜二つで、参列者はみな驚きました。父がどんな思いで私の東京行きを止めたのか、そこでやっと分かりました。

 

結婚3年目、夫の家族と同居生活となりました。
私と同じ年の義妹も居て、姑は何かにつけて娘と私を比べで一言二言三言。

同居生活は、気づまりで窮屈でたまりませんでした。
さっさと就職先を決め、家を出て早くに結婚し、自分の思うままに来た私です。
今更愚痴はこぼせないし、別れる事も実家にも帰れません。悶々とした生活を続ける中、娘を授かりました。

 

娘が小学校3年生になった頃、今度は母が突然倒れ、入院しました。
私は直ぐに新潟に飛んで帰り、2か月ほど母の看病をしました。

 

東京に戻ると、娘は顎関節症になっていました。
強いストレスから来るものだと医者から言われたそうです。私が居ない事の寂しさと、「いじめ」が原因でした。

 

30歳なった娘が突然今までお母さんに言えなかったことがあると言い出しました。

「お母さんが新潟に行ってしまったときに、お母さんにどうしても相談したかった。誰にも相談できずに自分が壊れておかしくなっていくのが分かった。辛かった。でもやっと今話すことができた。」と抑え込んでいた思いを吐き出しました。

 

あの時、実母のことだけで頭がいっぱいで、娘のことを思いやる気持ちがなく、さっさと新潟に行ってしまたのです。
謝る事しかできませんでした。

よくこんな親でちゃんと育ってくれたものです。感謝しかありません。

 

 

介護の道へ

両親の看病がきっかけで、介護の仕事に就こうと思い立ち、38歳で専門学生になりました。

決めたら周囲のことに思いめぐらすことができない性格は子どもの頃から変わらず、家族に何の相談もせず、学校に行くことを伝えました。

 

学生2年目、夫の勤務先の会社が倒産。
私は学生、娘は高校入学という時期でしたので、焦りました。

しかし何とか生活できるお金の工面は出来、無事私は卒業、娘も高校入学できました。

 

笑いヨガとの出会い

 専門学校を卒業し、新規で事業を始めるタイミングの特別養護老人ホームに就職しました。

 

新卒といっても、年齢は高い方でしたので、早くに管理職になりました。
ある頃から職員間の関係がギスギスとしてきました。職員同士が良い関係となるために、何か方法はないのかとネットを検索していたときに「笑いヨガ」がでてきました。さっそく朝礼でやってみました。

園長から、ダメ出しされました。

そんなエビデンスが分かっていないものをやって何になるのだと言われたのです。
しかし、日本笑いヨガ協会の高田佳子先生のことを教えて頂きました。
悔しい思いで2017年3月の日本笑いヨガ協会の笑いヨガリーダー養成講座を受講しました。

2017年水道橋で受講時。満員電車笑い

その講座の2日目、グループごとに一人ひとり笑いのセッションのプレゼンテーションをします。
私の担当は、インドの挨拶「ナマステ笑い」でした。

 

「インドの挨拶ナマステ笑いをします。それでは、胸の前で手を合わせて、肘をしっかり挙げて、胸張って・・・」と指示した時です。

 

高田先生がものすごい勢いで私めがけて大きな声で
「私は、そんなこと言っていませんよ。こうしろ、ああしろと指示するようには教えていない・・・・」
と突進してきました。ものすごい迫力でした!

 

頭の中は真っ白です。その後先生から何を言われたのか、全く覚えていません。

 

講座の最後は、一人ずつ受講の感想や今後の抱負を発表します。
咄嗟に「今日は、私だけが先生を独り占めできました。」と言っていました。

 

帰り道、一緒に参加した方から
「凄いね、あの時よくあんなことが言えたわね。私はとても無理」と声をかけられました。

 

自分でも不思議です。なんでそんな発言をしたのか。
しかしそれからは、高田佳子の名前を聞いただけでビビリます(笑)

 

 

高田佳子が神明園にやってきた!

2018年1月、羽村市の特別養護老人ホームの合同研修会の講師が高田佳子先生でした。

(上記は神明園のFacebookページよりシェア)

講演会の後、夕方先生が突然神明園に来園されたのです。
夕食の準備で職員は、忙しく立ち回っています。入居者もそろそろ食事になるので食堂に集まり始めていました。そんなザワザワした中に先生の登場です。

 

高田先生のリードで、笑いヨガが始まりました。いつもの空間が、物凄いエネルギーで充満しています。

「げいぇーッ。なんだぁ~これ!」私だけではなく、職員はビックリというより啞然です。

 

笑わない人も笑っています。

普段は反応しない人も、興味津々で集中しています。

 

高田佳子マジックを見ました。
それまでは、週1回程度しかやっていなかったのですが、この日を境に出勤している時はできるだけ職場で「笑いヨガ」をやろうと決意しました。

 

 

 

 

その年の3月には60歳でしたので、退職のはずでした。
しかし突然退職が5年間延長されました。しかも役職が部長から副園長となりました。
大方の仕事は引継ぎをすましていたので、5年延長で何をするのかというと「笑いヨガ」なのです。

 

毎朝の各階のミーティング後に入居者職員と一緒に15分~20程度笑い、月1回体操クラブとしてミッチリ30分から40分各フロアーで笑うことになりました。

スタッフ同士での笑いヨガの様子(神明園のFacebookページにリンク)

 

 

2020年~コロナが流行 2021年10月ZOOMで高田先生がやってきた 

コロナ禍に入り、特別養護老人ホームは面会の規制やボランティアの受け入れ中止、園内のイベントの縮小化などを余儀なくされました。誰にとっても大変な時期でした。

 

そんな中、高田先生からの申し出で、Zoomで笑いヨガが出来ることになりました。

 

最初は高田先生の自宅と施設を繋いでやりました。人で不足になりがちで、たいへんな時期でしたが、せっかくなのでたくさんの入居者さんに笑いヨガをやっていただきたいと思いました。そこで、2、3、4階それぞれにカメラとモニターを準備してつなぎ、職員が交換研修に出ている熊本の施設ともつないで、賑やかな笑いヨガセッションとなりました。

\神明園の笑いヨガについては詳しくはこちらをご覧ください/

 

笑いヨガセッションの終わりには、入居者は、「佳子ちゃんまたきてね。待ってるね!」と声をかける人や、あいうべ体操をリクエストする人、職員たちも楽しんで、参加していました。

 

週に1回の笑いヨガが4か月ほど続き、コロナ禍であっても笑って元気に過ごすことができていました。

 

2023年春になり「笑いヨガは、副園長だけしかやってはいけないのか」と職員から声が上がるようになりました。

 

この言葉、とても嬉しかったです!

私がお休みの日は、職員は笑いヨガリーダーの資格を持っていない者はやってはいけないのかどうか不明だったのか、遠慮してのことだったのか、笑いヨガをしていなかったようです。入居者から笑いヨガをして欲しいというリクエストに、自分たちもやろうという意欲が高まってきたのです。

 

どんどんみんなでやってほしいと、本やDVDを貸しました。
それからは私が出勤していないときは、職員の誰かがやるようになりました。

 

 

被災地の方にも笑いヨガを                                  

2024.1月1日、能登半島地震が発生しました。

地震で被災された要介護高齢者は、安全が確保できている地域に移動しケアを受けます。
地震発生から2か月が経過したころ、人手が足りず職員のオーバーワークとケアが行き届かない状況に陥っていて、応援の要請が全国老人福祉施設協議会の福祉支援を行う民間の福祉専門職で構成するDWAT(通称老施協DWAT)に届きました。

私の勤務先である神明園からは、園長と部長の2人が即刻派遣されました。
現地に向かう前に、私に現地と相談し出来る状況であればZOOMをつないで「笑いヨガ」をやって欲しいという要望がありました。

 

もちろん、即引き受けました。

 

2月18日、ZOOMでの笑いヨガがスタートしました。

 

カメラ正面に私が座り、後方に神明園の入居者が並びます。
向こう側には、避難者とディ利用者、職員、他県からの派遣職員が集まっていて、画面にたくさんの人が映し出されています。

(上記は神明園のFacebookページよりシェア)

 

自己紹介、笑いヨガの説明、基本動作とたくさんの笑いの体操をしました。

何度も何度も「ホッホ、ハハハ」と「いいぞ、いいぞ イェ~イ」が繰り返されます。

 

石川県は有名なお酒や多くの力士が活躍しています。そうした話題で笑いヨガをセッションを無我夢中でやりました。

 

マスクをしていて、表情が見えなかったり声も聞こえませんでしたが、50分間汗だらだらになるほど夢中でZoomで笑いヨガセッションをリードしたのです。

 

能登から戻ってきた園長によると、皆よく笑っていた、施設職員や他県から応援に来ていた職員も初めて笑いヨガを体験して「これ、いいね」「うちでもやりたいなぁ」との声が出ていた聞き、早速3月もZOOMで笑いヨガをすることが決まりました。

 

能登で笑いヨガ!

3月に入り、応援した施設が派遣職員が途切れていて大変な状態となっていて、応援要請が来ていました。「滝沢さん行く?生で笑いヨガもしてくれば?」と気軽に声をかけられました。

 

即、OKしました。

 

しかし、応援に入れるのは派遣登録者のみと制限されていた為、急遽派遣申請したところ、迅速に許可が下りました。退職まで残り17日でした。

 

 

派遣期間は、3月10日~14日の4泊5日

 

12日にZOOMでの「笑いヨガ」が予定されていたのですが、派遣が決まってしまいました。

 

初日は、担当者とスケジュールを確認し、宿に入りました。

 

1日目、担当職員から突然午後からの仕事はいいので、ショートステイの棟で「笑いヨガ」をやって欲しいとの依頼がありました。前回の笑いヨガの評判がすごく良かったので、ぜひやって欲しいというのです。もちろん喜んでお受けしました。

2日目12日は、予定通りZOOMで避難者やデイサービスの方、そして神明園をつないでオンラインで笑いヨガをしました。神明園の入居者の皆さんは、画面の向こうに私がいるので、たいへん驚いていました。

 

3日目も、午後から特養で「笑いヨガ」をお願いしますと依頼が入りました。
笑いヨガは、どこでやるにしても、施設長や事務長が参加してくださいます。また、民生委員の方も参加してくれていました。

 

介護応援に来たはずなのですが、毎日笑いヨガをすることになりました。いいのかなと思いつつも、要望があるのですからいいのでしょう。

 

応援最終日、職員から「私、笑いヨガ見ていない。あ~見たかった。」昨日から現地入りしている他県の応援者からも「私も、笑いヨガってどんなのか見たかった。とてもみんな喜んでいたと聞いた」と言われ、避難者の生活棟でも「笑いヨガ」を一緒にやりました。

 

なんと、4日間毎日連続で50分の笑いヨガをやったのは、笑いヨガ人生初でした。

応援先の施設長から、日々のケアに追われていて、アクティビテイが高齢者や職員に必要だとわかっていてもなかなかできなかった。笑うだけならどんな人でもできる、避難者を受け入れて職員も大変でなかなか余暇まで手が回らなかったが、みんなが笑う顔を見て、こんな時だからこそ「笑い」が必要だと思ったと言っていただけました。

 

何とか施設でやれるように職員と考えますとおっしゃって頂け、何より笑いヨガを絶賛していただけたので、自分の勤務先以外で笑いヨガをやるのは初体験でしたが、任務は果たせたと思いました。

 

笑いヨガを全く知らない人の前で、私のリードで大勢の方と一緒に笑い、笑いのパワーを全身で感じられるこの感覚は、笑いヨガをしていたからこそ味わうことができた経験でした。

 

楽しい。本当に楽しい。

 

笑いヨガに出会えてよかったと心の底から感じました。

 

応援した施設から4月になって手紙を頂きました。「デイサービスを利用している認知症の方が、ご家族に今日の体操は楽しかった。」と言ったのだそうです。
普段何を聞いても覚えていらっしゃらない方です。
笑いヨガやっていて良かったという瞬間が、こうやって後から追いかけてくれることにも感動しました。

 

 

これからも 笑顔で・・・・

昨年8月から、神明園の公益事業の一つとして職員として地域の人に毎週1回笑いヨガを提供していました。今年3月で退職したので、今はボランティアとして、毎週継続して笑いヨガをやらせていただいています。

 

参加者は、日によってまちまちです。

 

大雨で今日は誰も来ないと思っていると、カッパを着こんで来てくれました。

「どうしても笑いたかった」と仰ってくださいました。その日はお一人でしたが、嬉しくてうれしくて涙が出るくらい嬉しかったです。

 

楽しみにしていてくれる人がいる、笑いヨガを待っている人がいるのです。

 

現在は、多い日は12人くらいの方が参加しています。
一人暮らしの高齢者が多いのですが、妻の介護をしていて一人だと笑わないから、介護していると辛くなることがあるからという理由で参加されている方もいます。

 

笑いでつながり、「人生楽しい」と思っていただきたいです。何より、私自身がそうありたいと思っています。

 

私には、もうひとつ笑いの実践があります。

 

私は自分の健康法というか、趣味として毎日早朝ジョギングをしています。

必ず背中に「笑って元気」と書かれた笑いヨガTシャツを着ています。

 

出会う人すべてに挨拶をしています。

いろいろな人がいます。腰の90度曲がり杖を突いている人、自転車の人、外国の人、ホームレスの人、本当にさまざまな人がいるのですが、笑いながら挨拶をしています。

 

日によっては50人以上の人に挨拶します。

 

今では相手から先に挨拶されたり、手を振ってもらったり、声をかけられたりしています。

 

3日ほど走らないと、「さぼったな!」と声をかけてくる人もいます。ほとんどの人と顔見知りになりました。挨拶を返されると、私自身が嬉しくてテンションが上がり、その日一日が楽しくなります。笑いヨガとどこか通じるものを感じます。

 

自分の住む地域で、名前は知らなくても笑顔で声を掛け合える人がいる。
気にかけてくれる人がいることは、生きることに前向きな感情が生まれるというと大袈裟なのですが、私はそう思っています。

 

笑いヨガを通して、たくさんの人と出会い、その生き方、考え方に出会いました。

 

仕事に役立てようと思って笑いヨガを始めたので、自分のことは意識はしていませんでしたが、私自身のものの見方考え方も、随分変わりました。

 

これからも、笑って自分らしく生きていきたいと思います。

1 個のコメント

  • 素晴らしい発表をありがとうございました。
    お仕事に役立てる為から、園全体的に、笑いヨガが広がり、被災地に笑顔が広がり、地域にジョギングで笑って元気Tシャツで、笑いの幸せを繋げておられる行動力に、感動しました。生きることに前向きになれる‼️
    笑いヨガを通じて、ホント

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