(笑い人)50代からの追っかけ人生。 -2人の先生から学ぶー

はじめに

 

今、とても幸せです。
そのことに、感謝しています。

この幸せを呼び込んだのは、教育者としての私の師匠である愛知教育大学名誉教授の志水廣先生と、笑いヨガの師匠である日本笑いヨガ協会の高田佳子先生です。

私は50歳過ぎてから、この2人の追っかけを始めました。
それで、人生がどのように好転していったのか、お話をします。

 

1.志水廣先生との出会いと追っかけ

 50歳の時、校内人事の事情で算数の研究主任になりました。
3年間の総まとめとして研究発表担当になったのですが、それまでは、国語の研究しかしてこなかった私は、困りました。

たまたま、福岡県教育センターで、愛知教育大から多数の算数教育書を書いている志水廣先生が教える講座を見つけ、応募しました。
大人気の講師で、当選確率7倍です。希望理由に研究発表が迫っていることを長々と書き、運よく超難関を突破でき、受講できました。

当時、算数教育界では「まちがいから学ぶ」というのが流行でした。
しかし、まちがえた子は、フォローしても、うつむいている現状がありました。
研修会の昼休みに志水先生に質問すると、「そうだよね、間違いは、先生がすればいいんだよ。」と言われたのです。

その返答に嬉しくなり、一気に視界が広がりました。

しばらくして、長野白馬高原での夏休み中、志水塾のスタッフから、志水塾福岡のスタッフになって欲しいとの依頼がきました。

本の出版計画があり、人手が欲しかったから白羽の矢が当たったのですが、大自然の中で、心が広くなっていた私はもちろん快諾しました。

志水塾とは、手弁当で教師に授業力をつけさせようと始められた学習会です。

志水先生には「学級のどの子もわかるようにしたい」という願いがありました。

そのためには、教員の授業力をつけなければならないと考え、志水塾を有志の方と立ち上げられたのです。

当時の志水先生は、大学の講義と日本全国の教育委員会からの講演依頼、各小・中学校の研究会の講師依頼をこなし、土日を使って、長野・東京・京都・広島・福岡で合宿の志水塾をこなすのです。

志水先生は、教科書編纂の仕事もあり、出版社関係の仕事での出張もありましたが、1時間ほど真面目な勉強会の後は、懇親会でした。

参加できる講演や研修には、志水先生を追いかけて全国をついて回りました。

もちろん、ご著書は全部購入して読み、先生のホームページは毎日見ていました。

こうやって、52歳で志水塾福岡スタッフになった私の追っかけがスタートしました。

2.志水先生の追っかけをして良かったこと

 志水先生から学んだことは、本当にたくさんあります。
すでに私は教師としてベテランの年齢でしたが、多くの変化がありました。

 

①怒らなくなった
 子どもたちに寄り添った指導ができるようになりました。頭ごなしに怒ったりすることがなくなりました。

②考えさせる授業
 子どもたちに自ら考えさせ、鍛える授業ができるようになりました。楽しい授業になるよう、工夫する自分に変わっていきました。

▼興味がおありの方は、ご覧ください。
https://youtu.be/qLw7fesQgFI

③学級崩壊を免れた
 56歳で転勤になり、厳しい環境の小学校に赴任しました、私はそれまで幸か不幸かそのような学校の経験がありませんでした。
いつもの通りにしていたら、小学1年生なのに、いじめや暴力もあるすごい学級になってしまったのです。

自信を無くした私は、鬱一歩手前。

そんな時でも、志水先生の福岡出張との会食に出かけた私は幸いでした。
志水先生から「元気ないな?」と声をかけられ、自分の状況を話しました。

心からの叫びで、私は志水先生に「子どもたちに『愛をください。』と言いたいです。」と言ったのです。
先生は「子どもたちも鷲尾先生に『愛をください』と言いたいんと違うか?」と言われました。

「愛をもらっていない子は人に愛をあげることが出来ないのだと」と気づき、「私から愛をあげよう」と決意しました。

志水塾の仲間で特別支援の専門家で臨床心理士でもある先生に、相談しました。
そのアドバイスもあり、教育方針を変え、たくさんの本を読み、どうにか学級崩壊をせずに2年生に進級させました。

④夫に感謝できた
 この経験で、退職をしたいと思いました。

つらい現実から逃げたかったのです。夫も元教師ですが、相談すると「退職はするな。」と言うのです。
「私が自殺してもいいの?」と反論すると「おまえは、自殺するような人間ではない。」と妙に自信たっぷりに言います。

同じ学校なのに残りの3年間は、楽しい学級作りができました。
保護者ともうまく関係を持つことができ、教師冥利に尽きる経験をして60歳でやり切った満足感を持って定年退職を迎えることができました。夫は収入が減るのが嫌で止めたのではないかと皮肉なことを考えていましたが、結果的には、夫の制止があったからこそ、退職後の夢につながったのです。

⑤講演ができた
 退職したら、講演をしたいというのが私の夢でした。
退職する年の授業力アップセミナー(志水塾から改名)福岡大会で、自分の経験を5分話す機会をもらいました。

発表の準備をしていたのですが、直前にそれを捨て、志水先生とその仲間たちのおかげで学級崩壊を立て直すことができた体験を話しました。

その話を全国から集まる教師集団に話して欲しいと言うことで、愛知教育大のセミナーに招かれました。
そこからどんどんいろいろな学校にも招かれることにつながりました。

⑥本を出版

 

 この辛い経験をあちこちで話すうちに、64歳で志水先生に勧められて本を出版することになりました。
その本からまた講演の依頼が広がっていきました。

学級崩壊で鬱病寸前を経験しましたが、その経験こそが、自分の夢につながりました。

志水先生のアドバイスで最悪の状態から脱出できただけではなく、追っかけから広がった人脈が本当に大きな財産になりました。

 

3.高田先生との出会いと追っかけ

 私が笑いヨガに出会ったのは、退職の翌年、公民館長をしていた頃です。
ふれあいサロンの企画で笑いヨガを思いつきました。

私は寺の嫁でもあります。

笑いヨガを知ったのは、寺族会(寺の嫁の会)の会報でした。
会員の一人が笑いヨガをやり、好評だったという記事を読み、依頼したところ、快く引き受けてくだったのです。

そのふれあいサロンの笑いヨガ体験は、衝撃でした。

おそらく動員され、参加した初老の男性です。
最初はしかめ面で、苦虫を嚙み潰したよう表情でした。笑いヨガの最中には、歯をむき出して笑い、帰る時には清々しい表情で帰られたのです。

「なんてすごいんだろう!たった1時間で人間の表情をこんな簡単に変えられる。これからは、笑いヨガだ!」と心に決めました。

講師を務めた信行甲子さんから、本をいただきました。
この本には、彼女も紹介されています。

『笑いヨガで超健康になる』

 

 

 

 

 

 

読んでいるうちにどんどん興味がわいてきて、鹿児島で全国笑いヨガ大会があるということも知り、知り合いもいない中、一人ででかけました。

 

その翌年の東京大会にも参加し、ついに東京で笑いヨガリーダーになったのです。
笑いヨガリーダー養成講座は福岡でも開催されていたのですが、すぐに受講したかったので、翌月も東京に行ったのです。

その講座で、高田佳子のファンになりました。
最初は、笑いヨガの魅力に惹かれた私でしたが、彼女の人間としての魅力に惹かれ、追っかけを決意しました。

それからは、全国大会(5回)も笑いヨガティチャー養成講座(4回)、リーダー養成講座に至っては、地元福岡の他鹿児島・宮崎と10回以上は再受講していますし、他の日本笑いヨガ協会の講座も全部受け、東京にも何回も出かけました。

新宿の朝日カルチャーセンターや、雑誌「ハルメク」の講演会、日本笑い学会関東支部の大会等、参加者席の私を見つけ、高田先生が驚くのも愉快でした。

 

高田先生の出身校の明石高専のイベントにも参加し、ご実家にも行きました。お母さまの名前はみさ子さんで、私は操子です。そして、私の娘は佳子といい、高田先生と字も読み方も同じよしこです。

 

もちろん著書は全部読んでいます。最初にサインをお願いしたときに、我が家と先生の母娘の名前が同じと判明し、そこで名前を憶えてもらいました。

 

とにかく高田先生に会うことを目的に追っかけをしました。
コロナ流行の直前の2019年は、1年に10回会いました。

 

4.高田先生の追っかけをして良かったこと

①すごい人と出会える!
 高田先生の追っかけをしていると、とにかくすごい人と出会います。
印象に残っているのは、全国笑いヨガ大会のゲスト講師を務めた小児歯科医の岡崎好秀先生や、友道健氏先生、北折一先生、昇幹夫先生、枝廣篤正先生等すばらしい方と親しくお話できました。

特に、岡山大会では岡崎先生が、大牟田の動物園のかばの虫歯を治療の話やご自分の本を多くの子どもに読んで欲しいとの願いなど、新しい世界へ案内していただきました。

②笑いヨガの依頼がどんどん来る
 「学んだことを生かさない人いるんですよね。」と高田先生が言われたことがあります。
「それ、私のことだ!」と思いましたが、相変わらずインプットばかりでした。アウトプットは面倒なのです。

しかし、自分からは何にもしないのに、笑いヨガの講師依頼が来るようになりました。

まずは、民生委員のつながりで、高齢者施設からの依頼。
その後、ふれあいサロンや認知症と家族の会のオレンジカフェにも呼ばれるようになりました。
保育園や特別支援の子どもたちとも笑いヨガをしましたが、いずれも人気で子どもにも良いものだと実感しました。
小学校では、子どもと教員両方ともやりました。

うちは、寺でもあるので曹洞宗の関係でも、護持会や他のお寺に笑いヨガでお招きいただきました。
そのうち、町内の違う宗派のお寺に呼ばれました。

と言う訳で、退職後も忙しい日々を過ごしていました。

③気持ちの切り替えが早くなった
 夫には持病があり、彼のために笑いヨガをしようと考え、2018年4月から、寺で月1回の笑いクラブを始めました。

最初は参加した夫は「きつい」と言って参加しなくなりました。
しかし、参加者からは喜んでいただいたので、夫抜きで続けていました。

ある参加者からは「我慢することにストレスを感じなくなりました」と言う感想を言っていただきやって良かったと思いました。

そして、私自身も気持ちの切り替えが早くなりました。

どんな事があってもすぐ立ち直れるのも、高田先生の「ま、いっか!」精神であり「いいぞ!いいぞ!どうでもいいぞ!」の教えです。

2021年6月、夫が亡くなりました。もちろん、どうでもいいぞとはいきませんでした。
しかし、笑いヨガをやっていたおかげで、辛く悲しい夫の死に直面しても、早く復活することができたと思います。

④出会いが広がる
 コロナ禍になり、高田先生は即刻活動を全てオンラインに切り替えました。
Facebook もZoomも高田先生を追っかけていたから、私もすぐに使うようになりました。

コロナで、いろいろな制限もありますが、日本全国の笑いヨガの仲間と親密に繋がり、今は笑いヨガ三昧です。

また、飛行機代やホテル代を使わなくても、高田佳子のオンラインサロン笑い道に参加しているので、学びも楽しみも何一つ失っていません。
快適な暮らしができているのも、高田先生の追っかけでいち早くZoomの恩恵に預かれたと思います。

もちろん、Zoomで行われる高田先生の講演会には、全て参加しています。

 

5.~宇宙貯金の話~ 志水先生と高田先生の共通点

 お二人には共通点がたくさんあります。

過去を振り返ってくよくよ悩まない。未来を見据えて、今できる事を全力でされる。変化を怖がらない等です。

志水先生は「誰もがわかる授業作り」高田先生は「誰もが笑って幸せでいられる街づくり」を目指し、常に自分以外の人の幸せを願っています。

いつも目の前の人を見て、対象者を大切に思われることも同じです。上から目線で対応するのを好まれないのも同じです。

無意識の内に、人から「ありがとう。」と感謝されることが多い先生方は、宇宙貯金が貯まっていて、幸運を引き寄せる力があります。

そんな先生方を追っかけた私は、その恩恵を受けています。

願いが叶い、幸運が降ってきます。

私は60歳になったら、自分も卒業すると決めていました。
講演の講師その他で好きなことをやってきたのですが、退職して7年経ち、もう一度教壇に立って子どもを教えたいとぼんやり願っていました。

すると、何度も断ったので来なくなっていた、教師の依頼が突然やってきたのです。

たまたま途中でコロナになったので、2か月の予定が半年伸び、8ヶ月勤めました。

退職後にやりたかった講演講師もたくさんできました。

 

6.偶然は必然

 50代から志水先生の追っかけを始め、60代は志水先生と高田先生の2人の追っかけをしてきました。
いろいろなことはあるけれど、今、とても幸せです。

志水先生は、笑いヨガがとても好きです。
愛知教育大学の研修会では、笑いヨガからのスタートをしたり、志水先生のユーチューブでは一緒に笑いヨガをさせていただいたりしました。

志水先生は、「笑いヨガは、その場の雰囲気を温かいものにするし、みんなを仲良しにさせてくれる」とおっしゃいます。
今、笑いヨガ中心の毎日ですが、毎月1回の志水先生とのオンライン座談会もできています。

これからも、二人の師を追っかけたいと思っています。

 

最後に、偶然な出来後ですが、必然であったと思えるできごとを紹介します。

2017年7月のことです。青森県の奥入瀬渓流で志水先生にばったり出会ったのです。
夫とツアー旅行中で、バスで移動しながら要所、要所を散策するというものでした。

どういうわけか、そこを運転中の志水先生が通りかかったのです。私を見つけた先生は、私たちのバスが停車している所で待っていました。

「思わず、先生!」と喜び感激しました。

夫は「あっ、高田先生?!」とトンチンカンなことを言います。

「高田先生は、女性なんですよ!」このまちがいに、大笑い!!

これからも、笑い多き人生のために、更にお二人を追っかけて生涯現役でいたいと思います。

 

2 件のコメント

  • 鷲尾さんのストーリー、拝読させていただきました。
    求めていると偶然は必然になり、見えない引き寄せの法則が働いているんですね。
    これからも明るく笑いヨガでたくさんの方々と笑顔を分かち合っていきましょう。今後のご活躍も期待しています♪

  • 上野 裕史 へ返信する コメントをキャンセル

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です