(笑い人)目の前の人を大切にしたい!

笑いヨガの活動がコロナの影響でいったん中止、やっと2021年6月に再開

 

たかだよしこ
人と言えば「秋田美人」が有名です。しかし、実は島根県の女性が一番肌の肌理が細かくきれいな人が多いとの調査もあります。今日の話題提供者は、島根美人の京泉裕子さんです。自己紹介からお願いします。
京泉裕子さん
ご紹介いただきました通り、島根県松江市出身の京泉裕子です。現在は、茨城県取手市で、取手笑いクラブをやっています。

2017年2月に笑いヨガリーダーになり、その年の9月に笑いヨガティーチャー養成講座を受講しました。笑いクラブは、リーダーになった翌月の3月に始めました。

そのとき、私の友人たちは現役で仕事をしていました。
だから、行きつけのカフェの2階のスペースを借りてそこのお客様に声をかけてもらって始めました。最初はたったの3人です。


それでも、続けているうちに人が増え、いろいろなところからお声がかかるようになりました。仕事の自由が利くので、呼んでくださるところにはどこへでも出かけ、月2回定期的に依頼をいただけるところもありました。

ある時、デイサービスからお声がかかりました。私の笑いヨガは、テンポが良く運動要素の強いスタイルです。いつもの調子でお年寄りと一緒に楽しく笑いました。
リラクセーションタイムになったとき、椅子の上で寝てしまって転げ落ちた方がいました。

大事には至りませんでしたが、そのとき、笑いヨガは楽しいだけではだめで、目の前の一緒に笑う人をしっかり見る必要があるということを心に刻みました。

それと同時に、私がやりたいのは運動としてのテンポの良い笑いヨガだということにも気づかせてもらいました。

島根に住んでいた20代の頃、会社勤めのかたわら、エアロビクスのインストラクターをやっていたことがありました。まだエアロビの黎明期で、教える人が少なかったのです。大好きで続けているうちに、声掛けいただき、インストラクターになったのです。

そこから、自分の笑いクラブも運動要素の色濃いテンポの良い笑いヨガセッションにどんどん変化しました。それでやめてしまった人もいるのですが、男性の参加者が増えたり逆に若い人が増えたりと、参加者が入れ替わりました。年配の方々も、元気でノリの良い人ばかりになってきました。

そんなとき、新型コロナウィルスの拡大により笑いクラブができなくなってしまったのです。

 

たかだよしこ
でも、京泉さんの本職はパソコンインストラクターですよね。オンラインではやらなかったのですか?
京泉裕子さん
コロナになってすぐの頃、笑いクラブのメンバーではない2人の女性から頼まれてやりました。彼らは笑いヨガは全くの初心者で、Zoomにも慣れていませんでした

そんな状態で笑いヨガをやってはみたものの、私一人を画面で観て、自宅で一人笑うことにはすごく抵抗があったようなのです。

 

笑いクラブだと、初めての人でも、対面の笑いヨガの場合は周りの人につられて笑うことができます。
オンラインでは、初めての人に対して、同じ笑いの伝染力に期待できません。
どのようにやったらいいのかわからずに、そのまま1年以上が過ぎました。

取手市からシニア向けのZoom講座を頼まれ、講師を担当しました。
Zoomを練習してできるようになったとしても、Zoomを使って何をしたいのかが大事で、それがないと習得は難しいのです。

 

市のご担当の人と話をしていて、私は笑いヨガを提案しました。
Zoom講座受講終了の20人の人が参加してくれたのですが、やはりZoomを使っての笑いヨガは難しかったです。男性が多く、普通のノリの笑いヨガは躊躇してしまったのですね。

それでも、その中の3名が笑いヨガを続けてやってみたいと言ってくれました。

その3人の方々のために、私は取手笑いヨガクラブの再開を決めました。
以前クラブに来ていただいていた方に声をかけたら、2名の方はZoomが使えました。

そこで、来てくださる方のために、どのようにしたら笑いヨガをZoomで楽しんでいただければよいのかを考えたのです。

 

まずは仲良くなること

笑いヨガをZoomで楽しむためには、まずは仲良くなることだと考えました。そこで、とりあえずしみんなでしゃべってもらうことにしました。

「昨日の夕食は何を食べましたか」「夏の思い出といったら、どんなことを思い浮かべますか」といった、本当に他愛のないことです。

最初は「え!」という顔をされましたが、少しずつお話がはずむようになりました。

必ず笑いヨガの最初と最後にこうしたお話をするようにしていたら、参加者から「私たち友だちみたい」という声があがりました。

「ホッホハハハ」と言ってもらうのさえ、躊躇しながら和やかな雰囲気をつくるのに1か月半かけました。
こうして、6月から始めたオンライン笑いクラブも、今では毎週Zoomで開催できるようになったのです。

パソコンを使っての仕事

たかだよしこ
お仕事のことを少し詳しくお伺いしてもいいですか?
京泉裕子さん
子どもが生まれてからは、専業主婦でした。上の子が、小1になるとき仕事を再開しようとしました。夫からパソコンでの仕事は必須だとアドバイスを受けました。

 

そこで、マイクロソフトのパソコンスキルのMOSの上級資格を取りました。資格を取得したことで、パソコン講師の仕事がすぐに見つかり、今もその仕事をしています。

 

今はフリーですが、当時は所属講師として、マニュアルもあり、その通りに教えればよかったのです。電源を入れるだけで「わー!」と参加者から感嘆の声が上がります。立ちあげるのに時間がかかり。何回も電源を入れたり落としたりしないようにとモニターに張り紙をしていたような時代です。

パソコンのニーズは高く、講師の仕事もたくさんあったのですが、できる人とできない人の差もあります。講師はしっかりと見て、落いてけぼりをつくらないようにしなければなりません。

 

やがて、皆さんは映像を見て学び、講師は教室で皆に教えるのではなく、できないところをサポートする仕事になりました。

 

パソコンの使い方を教えれるだけではなく、生徒のわからないところ、つまずいているところを講師である私が見つけ出し、理解し、今目の前にいる人に必要なスキルを、目の前の人に合わせた形でお渡しすることが大事なのです。

 

今は、自営でフリーの講師をしていますが、目の前の人を大切にするという意識を持ったときから、アンケートの結果も変わり、ご指名をいただく仕事も急増してきました。

 

仕事も笑いヨガも同じです。目の前の人、たった3人でも笑いヨガをやりたいという人を大切にして、それに合わせてやっていこうと思っています。

 

笑いヨガなら教えられる!

たかだよしこ
なるほど。パソコンを教えるプロが目の前の人を大切にしたいと考え、笑いクラブを再開できたのですね。

ところで、笑いヨガティーチャーになったのは、なぜですか?笑いヨガとパソコン講師はずいぶん違うような気がしますが(笑)

京泉裕子さん
笑いヨガを始める前は、体調を崩して仕事もお休みし、寝込んでいました。私を元気にしようとお友だちが「がん患者の集い」に誘ってくれたのです。

がんで寝込んでいたわけではないので、乗り気ではなかったのですが、彼女のご主人が講演をするとのことで、せっかく誘っていただいたので、参加してみました。

 

県外からもたくさんの方が参加していました。家族に抱きかかえられるようにやっと来たといった様子の方もたくさんいました。皆さんステージ4以上です。

 

そこで、たった10分ですが笑いヨガがありました。それで、周りの人の顔が変わったのがわかりました。

 

その後、講演会、食事会と続きました。来たときはあんなに辛そうだった方々が、和やかに談笑しているのです。それを見て、何かのきっかけで、人は元気になれるものだと感銘を受けました。

 

「笑いヨガの方なら私もできる」と思いました。私は講師をしていた女性にどうやったら講師になれるのかを聞きました。

 

その方は東京の日本笑いヨガ協会で学んだというので、私は家に帰ってすぐに調べ、笑いヨガリーダー養成講座の講座を申し込みをしました。

 

私が最初に出会った笑いヨガ講師は、キレイなワンピースを着てブーツを履いて笑いヨガをリードしてました。だから、水道橋の日本笑いヨガ協会に行ったとき、みんながカラフルなTシャツを着て笑っていたので、ビックリしました。

自然体の私は「明るく元気」?

たかだよしこ
体調が悪かったのに、笑いヨガリーダーになり、翌月から笑いクラブを始めたのですか?
京泉裕子さん
いろいろと私は運が良かったのだと思います。友人とランチの約束をしていて、彼女の用事でちょっとだけある会社に立ち寄りました。

その頃は、仕事をお休みしていましたが、仕事を探していると話をしたら、社長さんが地域の経営者のグループラインに「明るく元気なパソコンインストラクターが、仕事を探しています」と書き込んで下さったのです。

私はたまたま同行しただけですから、全く無理をしていません。
自然な自分が「明るく元気」な人見えるのだということが、わかったことは、元気になるきっかけのひとつになりました。

私はどちらかというと、くよくよ悩む方でした。

「あんなことしなきゃよかった」「あんなこと言わなきゃよかった」「取り返しがつかないことをしたのではないか」「どうしたらいいんだろう」と考えてしまうのです。

相手がどのように受け取っているのか、事実はわからないのです。

分からないことに、悩んでいました。

しかし、わからないことに時間と心を取られるのをやめようと思えたのです。

 

人間のすばらしい力

「想像力」は、人間のすばらしい力です。

想像力があるから、新しいことができるのです。パソコンインストラクターは不安定な仕事なので、それ以外にもクラウドサービスを使ってある会社の仕事を請け負っています。

これも家や島根の実家に言ってもできる仕事を探そうという想像力があったから、見つけられた仕事です。

この「想像力」を私は自分が落ち込む方に使ってしまっていたことに気が付きました

「想像力」にはネガティブな側面もありますが、同時にポジティブにも使えるのです。

私は人に相談せず、一人でがんばるほうでした。

しかし、それに気づいてからは、周りの人に相談するようになりました。すると、みんなが助けてくれるのです。

実は、今から29年前、夫の仕事の都合でフィリピンのリハール州ハラハラ村に住んでいました。

マニラから75kmほど離れた場所です。

日本でその距離だと、車で1時間ですが、当時の道路事情では4-5時間かかる場所でした。

朝起きて家の外に出ると、野良仕事にいく水牛が歩いています。ガスはプロパンがありましたが、水は井戸水を煮沸したものを、濾過して飲みます。シャワーは水しかなく、雨季ともなると寒いのです。

電気はマニラのために日中13-15時は止まってしまいます。冷房、扇風機どころか冷蔵庫も止まるのです。

そんな環境で、現地の人にいろいろ教えていただき、すごく助けられ、良くしてもらっていました。

私はそこで妊婦でした。子どもを産みに予定日の2か月前に帰国するはずでした。ところが、帰国前日スイカを食べてあたってしまいました。果物ではなく、包丁に菌が付いていたようで、たいへんな目にあいました。

4週間も寝込んでしまいました。帰ろうとしたら、臨月の妊婦は飛行機に乗れないのです。走り回っていろいろ助けてもらって何とか手配でき、JALに乗って無事帰国。すぐに出産しました。

実家にそのままいてもよかったのに、現地の人たちみんなが赤ちゃんをみたいと言ってくれていたし、夫もまだ任期があり、息子に会えないのもと考え、8か月の息子を連れてハラハラ村に戻りました。

みんな喜んでくれました。しかし、恐ろしいことを言われたのです・

「外国人の赤ちゃんは、売られてしまうから、絶対に目を離すな」というのです。

頭にスプレーをかけて、白人の赤ちゃんとして売られるかも知れないというのです。産む前に教えてよ!と思いましたが、もう遅いです。

それでも、メイドさんや村の人たちに助けられ、任期いっぱい楽しく暮らすことができました。

私は、たくさん助けられて生活をしてきたのでした。

また、言葉や文化が違っても、私たちは「想像力」を持っていることで、違う国の人ともすばらしい体験ができるのです。

フィリピンから帰国したとき、水道の水が飲めること、お湯がでることが、本当にありがたかったのです。

目の前にいる人を大切に、そして想像力を良い方向に向ける。

それを忘れないでいれば、感謝に満ちた毎日になるのだと思います。

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