時間をかければ前に進める
「堀本眞貴子です。人前で話すのが苦手です。話がまとまらないし、飛んでしまったりするので、今日はパワーポイントにまとめたので、ご覧になっていただきながら、お話します。お付き合いください。よろしくお願いします」
こう話し始めた2022年11月ルナ会(月例会)の話題提供者の堀本さんは、実は大の機械音痴だそう!
スマホを持っていても、LINEでさえなかなか思うように使えない。
笑いヨガの連絡に必要でどうにかこうにか使い始めたとのこと。
コロナ禍で笑いヨガができなくなり、仲間にFacebookやZoomを手取り足取り教えてもらいながら、なんとか使えるようになり、今回はパワーポイントをものすごくがんばって自分で作っての発表!!
ということで、それを知っている【えひめ笑いヨガ推進の会】の仲間から応援されながら、お話してくださいました。
写真が豊富でとてもわかりやすいお話で、話の内容はもちろんのことながら、ご本人のその努力に感銘を受けたという感想が多く寄せられました。
アクティブに動き回りました
改めまして、マッキーこと堀本眞貴子です。
愛媛県八幡浜市という人口32,000人の町に住んでいます。
自営業ですので定年がなく、今も夫と教材販売代理店をしております。
小中学校・保育園・幼稚園・児童センターなどに教材を届ける仕事です。
新学期が始まる3月~5月は目の回るような忙しさですが、自営なので時間が自由になるところもあり、時間をつくって笑いヨガをやっています。
私はもともと運動が大好きです。
バレーボール、インディアカ(羽根付ボールで行うバレーボールタイプの競技)、水泳に熱中しました。水泳は、毎年マスターズに出場し、力を入れてやっていました。
福祉にかかわったのは、介護保険が始まるより前になりますが、今でいう地域包括支援センターの依頼で「さわやか相談員」になったのが始まりでした。
地域の高齢者の自宅訪問をして、心配ごとやお困りごとを伺ったり高齢者福祉施設を訪問し、お年寄りのお話相手になったりします。施設スタッフともお話しします。
そうした活動の発表や報告をしたりもしました。
この、さわやか相談員の活動の中で、認知症(当時は痴ほう症と呼ばれていた)を学ばせていただいたり、良い経験をたくさんさせていただいたりしたのですが、長くは続けられませんでした。
義母が、認知症になったからです。
知るとやるでは大違い
さわやか支援員を経験していたので、義母が認知症になったとき、認知症家族を支援する教室のお世話になりました。
介護保険法ができてすぐの頃です。
認知症を学ぶ講演会、認知症介護についての勉強会、介護者同士の近況報告や座談会、リフレッシュのための食事会やちょっとした旅行もありました。
家族が認知症になったとき、どこに相談するか悩む人が多い中、私はラッキーだったと思います。
しかし、知識があったから、一人で悩まなくて済んだからといって、決して楽なわけではありません。
認知症にもいろいろなタイプがありますが、義母はアルツハイマー型とレビー小体型でした。
同じ事を繰り返します。
さっき聞いたことをもう忘れて同じ会話が繰り返されます。
被害妄想もありました。
物とられ妄想というやつですね。
季節感や時間帯がわからなくなり、不思議な行動をとり、だんだんと親しかった人のこともわからなくなっていきます。
家で暮らしていたので、幻視や幻覚症状が、一番困りました。
食事中、義母が下を向いているので「お母さん、どうしたの?」と尋ねると「子どもがうるさいけん、食べれんとよ。」と言います。
子どもなど何処にもいないのに。
「わかった、子どもには帰ってもらうけね。」と言ってその場は治まっても、またすぐ同じことを言い始めるのです。
飲んでいるコップの水をいきなりかけてきて、驚いて尋ねると、子どもが帰らんから、水をかけて追い帰したと言う始末です。
また、朝起きたら、カーテンがびりびり裂かれていたことがありました。
窓から変なおじさんが覗いて怖いというのです。
いつもベットに寝ているのに、庭に寝かせられたとか船の上にいたとか言うこともありました。
教材販売という仕事は、季節によっては大変忙しくなり、私も限界に近くなってきました。
夫から、「仕事は人を雇えば乗り切れるけど、母親の面倒は家族しか看れない。
施設に入れたら、会いに行けないだろうから、家で見てくれないか」と言われ、私は腹をくくりました。
ダブル介護
そんな中、自分の母親も介護が必要になりました。ふたりの母がデイサービスも利用しながら、毎日時間との戦いでした。
義母は緑内障、虫垂炎、動脈瘤手術のため、入院することもあったのですが、認知症があるというので、病院からは介護のために24時間付き添うことを要請されました。
同じ頃、自分の母も入院をすることが増えました。
80代前半で心臓バイパス手術をし、その後、子宮頸がんの手術もしました。
手術後は、私の妹に1ヶ月足らず看てもらいましたが、退院後は私の家の近くに住んでもらい、世話をしました。
どうしてもお世話できずにショートステイに2~3泊行ってもらうことがありましたが、ショートステイから帰宅したら「眞貴子、がんばるから施設には入れんといてや」と母は言うのです。
なので、家政婦さんやヘルパーさんを雇って実家の母の世話もしました。
また、2人の母が同時に入院ということもありました。
義母には付き添わなくてならないので、気になりながらも実母にはなかなか会えない日々が続きました。
夫の姉が見舞いに来てくれたので、義母のことを頼んで、母の入院先に会いに行ったときのことです。
母は看護師さんに付き添われ、廊下を歩いていました。
私が母を見つけて近づくと、「あんた、お義母さんは大丈夫なんか?誰か看てくれているの?」と聞くのです。私は思わず母をハグして、涙が込み上げてきました。
ハグした母が小さくなっているような気がしました。
2012年1月20日に母が他界しました。
その頃は、義母の認知症もだいぶ進み、介護が大変なので落ち込んでいる時間はありませんでした。
その義母も、同じ年の11月9日旅立ちました。
義母が亡くなった後、実家に行き、遺品整理をしました。思い出しては涙、涙、涙。
母が大好きだったお出かけ用の服、持ち物をみては、涙、涙。
実家の前を通るときは、息がつまるような思いがして、しばらく辛かったです。
よく心にぽっかり穴が開いたという表現があります。
まさにそれが襲って来て、大変だった分、気力が一挙になくなったようで、あんなに好きだった水泳にも戻れなかったのです。
数年経ち、病気祈願や厄除けで有名な世田薬師(愛媛県西条市の梅檀寺)にお参りに行きました。その際に、和尚様から「両肩におふたりのお母様が守護霊で見守っていらっしゃるからね、大丈夫です」と言ってくださったのです。
不思議なもので、そう言っていただいてからは、少しずつ気力が戻ってきました。
笑いヨガに出会えた!
認知症家族の会にOBとして参加していました。
家族介護教室で、「笑いヨガって知っている?」と尋ねられました。私は聞いたこともなかったので、すぐに調べたところ、西予市に宇都宮富美子さんという方が活動していることを知り、連絡を取りました。
まもなく日本笑い学会の四国支部の発表会が大洲市であるということを教えてくださいました。
そこで、精神科医で笑いヨガティーチャーでもある枝廣篤昌先生のお話や、たいへんな病気から元気になられた白石敬子さんのお話を聞くことができました。
帰りの車の中で友だちと頭に残った「ホッホハハハ」と言いあいながら、弾む話で上機嫌で帰りました。
その後、宇都宮富美子さん主宰の「せいよ笑いクラブ」に参加しました。
2か月後に西予市で笑いヨガリーダー養成講座があるということで、すぐに受講しましたが、そのときは正直、初日は「なんだか変なもの」と思いました。
2日目は気持ちの変化があり、これは良いな~と思うようになったのです。
笑いクラブをしなさいということだったので、わからないまま6月に八幡浜笑いクラブを始めました。
参加の皆さんが喜んでくださるし、宇都宮富美子さんがやっている勉強会に参加している皆さんが、応援してくれるので続きました。
1年後には、デイサービスやグループホームでのボランティアや、サロンや公民館等で教えるようになりました。
すると、皆さんいい笑顔になります。
もっと笑いヨガを教えたいという意欲がわいてきました。勉強の機会はできるだけ参加するようにしました。
そして2017年、山梨県富士吉田市で行われる笑いヨガティーチャー養成講座にも参加しました。
私と白石敬子さんの2人で参加しましたが、珍道中だったと思います。
前年に参加した人が空港まで見送りに来てくれ、背中を押されての参加でした。
無理のない旅程を立てていた都合で、1日目遅れての到着でしたが、到着するや否や講師の高田さんから「深呼吸して」とリードをするように言われました。
心の準備がないまま全国から集まった参加者の前でやったのですが、そこで私はできる!と感じました。地元での勉強会で学び続けていた成果です!
志高く、笑うのが大好きな各地から集まった人たちと、楽しく充実した時間を過ごすことができました。
講座から帰った後は友人から
「あらあ、積極的になったね。」とか「マッキーは以前とは全く違う、別人や。」
「声が大きくなったね。」「説得力がある話し方ができるようなったね。」
「笑顔が素敵よ。」
と言ってもらい、前進したことを感じることができました。
高齢者福祉施設にボランティアで行くことも多いので、徳島に2日間通って「幸齢者のための笑いケア講座」に参加したり、東京まで5か月間講師塾に通ったりしました。
介護が終わったら、マスターズ水泳に戻りたいと思っていたのに、気づいたらどっぷり笑いヨガにはまっていました。
笑いは人を元気にします
私は認知症の家族介護をしてきました。
介護者と認知症当事者が一緒に活動できる場があったらいいなということで始まったのが「ほっとポットカフェ」です。
基本的には住民中心で運営し、認知症ケア専門士の会と地域包括支援センターがそれに協力するという形をとっています。
家族は専門家に相談でき、認知症の勉強ができます。
茶話会でおしゃべりをしたり、オカリナや笑いヨガを体験したりしてもらいます。
「ここに来たら何か楽しい」と言ってもらえ、笑顔で「また来るよ」と言って帰られるのが何より嬉しいです。
認知症のご家族の方は、家に帰ってからの様子を手紙やはがきでお知らせしてくださる方もいらっしゃいます。
そうしたお便りは、私の宝でもあり、エネルギーの源泉でもあります。
日本全国高齢化が進んでいますが、八幡浜も高齢化率41%の町で、先端を走っているといえます。
認知症の人もどんどん増える中、認知症予防はもちろん大切なのですが、家族や周りの人たちが正しく認知症を理解し、認知症になっても安心して遊びに行ける場所があることが大切だと思っています。
私はこれからも、地域でそういう場をコツコツやっていきたいと思っています。
私は今、笑いヨガに出会えて楽しい毎日を過ごしています。
両家の母の介護をしていた時に笑いヨガに出会っていたら、介護生活も違ったものになっていたと思います。
だからこそ、今、介護をしている人たちに伝えられていること、すごく嬉しく思っています。
笑いヨガを初めてからは、久しぶりに会った人から「表情が明るくなった」「イキイキしている」「はつらつとしている」と言われることも、とても嬉しいです。
私は、パソコンもスマホも苦手で、周りの人に教えてもらったり助けてもらったりしながら、どうにかこうにかやっています。
でも、時間をかけるとできると信じられるようになりました。
できるできないではなく、やりたいかやりたくないかなのです。
やりたいと思ったことは、時間をかければいいのです。
今日のパワーポイントのプレゼンテーションも、パソコン教室で習い、多分人の倍かかったと思いますが、時間をかけて作りました。
習ったときは、どう使うのかわからなかったけど、興味のあることは、どんどんやればいいのだと思います。
笑いは人を元気にします。
笑うことで、身体も心もごきげんになります。
何度もいうようですが、介護前に笑いヨガに出会いたかった。
だからこそ、高齢化が進んで認知症になっても、心身ともに毎日ごきげんに生活できるよう、地域の方々に寄り添いながら少しでもお役に立てるよう、笑いヨガをお伝えしていきたいと思っています。
笑顔の種まきをしていきますので、これからもよろしくお願いします。
素晴らしい介護たいけんと笑いヨガの実践に感動共感しました。
私も仕事しながら義父の介護から始まり、夫、義母と実母と昨年見送って14年間の間介護が終わりました。
私の笑いヨガとの出会いは私の定年間際に夫が倒れて闘病生活になった時に講座に出かけたときからです。今地域で笑いヨガを広めています。私もさらに頑張っていきたいと勇気をいただきました。
中野智恵子さん、第6回全国笑いヨガ大会 東京(2015年9月26日27日)に参加され、初対面なのに意気投合し、偶然にも生年月日が同じでした。私は蓮田市在住です。
同性同名の方でしたらごめんなさい☺️
義母さん、実母さんの介護、その後、笑いヨガとの出逢い、お話ご参考になりました。
介護中に笑いヨガに出逢いたかった。
実体験を活かして地域の介護をされている方々への寄り添った笑いヨガ、『笑いの種を蒔く』私も同じ
その志を持って、コツコツ頑張りたいと思いました。
有難うございました。