“笑い”が拓いた私の未来
コロナ禍でも、99歳、94歳が参加する「笑いクラブ笑姫」(愛媛県大洲市)の主宰者白石敬子さんの壮絶な病気の体験から、笑いヨガで復活するまでのお話をオンラインサロン笑い道の2020年8月の月例会(通称:ルナ会)で伺いました。
この記事は、その内容を白石敬子さん監修でまとめたものです。
1.突然「がん」におそわれた!
2012年、乳がんを発症。
それまで元気で明るいのが取り柄のOLでした。
リンパ節に移転していたため、転移進行乳がんとの診断でした。
私たち夫婦には子どもがおらず、高齢の母は脳出血で倒れた姉の介護をしていました。
夫と母に申し訳ない気持ちでいっぱいで、泣きごとなど言える状態ではありませんでした。
母はそのとき86歳だったでしょうか、手術室に入るとき私の手を握り、「丈夫な体に生んであげられなくてごめんね」といいました。
この母より先に逝くことはできない。なんとしてでも良くなる!と心に誓い、手術室に入ったのです。
手術の後も、抗がん剤・放射線治療など、標準治療を受けましたが、治療はなまやさしいものではありません。
一時退院の際にアナフィラキラシーショックで意識を失い救急搬送される中、三途の川を渡りかけたこともあります。
2.さらに「うつ」に
徐々に心も病んでいきました。心療内科でうつ病と診断されました。
食べ物を受けつけられず、あっという間に30キロ痩せました。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で一日中横になっている状態です。
何も見ない、聞かない、自分一人だけの世界を彷徨っていました。
今の状況を何とかしなければと思っていたものの、人に会うのも怖いのです。
そんな中、テレビの声が耳に入ってきました。
笑い声とホッホハハハという掛け声でした。
3.気になるリズム“ホッホハハハ”
夫は私がテレビから聞こえた笑いヨガの音に関心をしめしたことを見逃しませんでした。
私にとっても彼にとっても勇気がいることでしたが、松山の笑いヨガ体験会に連れて行かれました。
私は最初は下を向いてじっと座ったままでした。
しかし、“ホッホハハハ”を繰り返し繰り返し聞いているうちに、小さく手をたたき、声が出ていました。
楽しんだというまではいきませんでしたが、楽になった気がしました。
家に帰ると、笑いヨガをもっと知りたいという気持ちが強くなりました。
そこで、勧められたリーダー養成講座を受講し、その後は毎日朝に夫と二人で笑いヨガをするようになりました。
最後はハグ笑いをして「がんばった、がんばった、イェーイ!」と自分にエールを送りました。
続けていると、気持ちが楽になり、同時に体も動くようになり、少しずつですが以前の私に戻っていくという実感がありました。
4.笑いヨガの講師依頼が来る
日本笑い学会四国支部から、私の体験を話して欲しいという依頼が来ました。
まだまだ体力もなく、自信もありませんでしたが、誰かのお役に立つならと、お話させていただきました。
そこに私の住む大洲市の保健師さんも参加されていて、保健センターで保健師・栄養士・社協職員の研修で笑いヨガを紹介してほしいと依頼されました。
自分が元気になるために始めたことですから、リーダーになったとはいえ、経験はありません。
戸惑う私に「カンニングしながらでもいい」と強く要望されました。
夫は「この世に再び帰していただいたのは、敬子にお役目があるからだ。
僕がなんでも手伝うから、させていただきなさい」と背中を押してくれました。
覚悟を決め、資料も準備し、お友だちの仲尾幸代さんの力を借り、なんとかやり遂げました。
それをきっかけに、大洲市で笑いヨガを取り入れようという話になり、市内全公民館で笑いヨガをやっていくことになりました。
私が徐々に元気になってきたので、元気な頃通っていた水泳の仲間が「私たちにも笑いヨガを教えて」というようになりました。
そこで、彼らに自宅の居間に来てもらい、笑いヨガをリードしました。
こうして、練習の機会もいただいたのです。
5.坂を乗り越えたこれからの人生!
私は地域の人が集まる「笑いクラブ笑姫」を2015年4月に開始しました。
福祉施設に招かれて、笑いヨガを定期的にすることも増えましたし、公民館等で講座をすることもあり、元気に動き回っています。
あれほどつらい暗闇でもがいていた頃を考えると、自分で自分の行動力に驚いています。
笑いクラブには、90代の方も元気に参加していて、私たちは年齢を言い訳にできません。
2020年春からは、コロナ禍で笑いクラブに集まって笑いあうことはできません。
人生には、「あんな坂・こんな坂・まさか」があると言います。
私にとっては、病気がまさかだったわけですが、それを乗り越えてきたのです。
だから、楽観的でした。
日本笑いヨガ協会が、いち早く笑いクラブをZoomでやってくださいました。
これまでは、東京に行かなければ体験できなかったことが、今では毎週自宅に居ながらできるのです。
私たちもそれに続いてZoomで笑いクラブをやるようになりました。
Zoomができない人は、LINEグループでやっています。
多くの施設は訪問ができませんので、DVDを作成し、それを届けています。
99歳の男性も、オンライン笑いクラブに参加されています。
もちろん、お孫さんの手助けがあってのことですが、彼がZoomに登場するだけで、他のメンバーみんなが元気をもらっています。
同じく94歳の私の母は、長女が脳出血で倒れた後は、その夫と2人で介護しながら一家の主婦として家事全般をこなし、畑で農作業をし、収穫した野菜や調理をしたお惣菜を自転車に乗って私や近隣の一人暮らしの人に届けています。
何より嬉しいのは、その母が「笑いクラブ笑姫」で笑うことを楽しみにしてくれていることです。「スッキリした」「気分転換になる」「また頑張れる」といってくれます。
母より先に逝かなくてよかった、夫がまー君でよかったと心の底から今の状況に感謝しています。
白石さんのご経験を読み勇気を頂きました私もうつ病を患ってまして毎朝高田佳子さんの朝トレで元気をもらって一歩一歩前に向ける様続けせて頂きますコロナがおさまりましたらお会いしに行きご一緒に笑いたいです
白石さんの素敵な笑顔からは 想像も出来ない体験ですね。
私は子供の頃 どうする事もできない不幸な時もありましたが 67年大きな病気をした事はありません。
しかし 人生100年時代これからは「まさか」の時も来るでしょう、毎日笑ってご機嫌でいればなにがあってもきっと乗り越えられると、白石さんの体験を読んで感じました。
ありがとうございました♀️
白石さんのたいけんを読み勇気をもらいました
毎朝高田佳子さんの笑トレで元気を頂き一歩一歩前に向かおうと思っております
コロナが落ち着きましたらお会いして一緒に笑いたいです
白石さん、いつぞやはzoomで励まして頂きありがとうございました。突然の娘の癌宣告であたふたしておりましたが、とにかく笑って前に進んでおります。zoomでしかお会いしていない白石さんや清水さん、そして皆さんに全国大会でお逢いするのが目標になっております。
白石さんあの時は本当に有難うございました。