(笑い人)みえなくても笑いヨガ

みえなくても笑いヨガ

 

オンラインサロン笑い道では、毎月の月例会(ルナ会)で一人のお話を伺うのですが、今回は毎月第3日曜日に開催される笑いカフェで、神戸の笑いヨガリーダー濱田明展さんにお話を伺いました。奥様のきよ子さんにもお話をいただき、皆で笑いヨガの可能性の大きさを感じました。

濱田さんは、全国笑いヨガ大会では第2回2010年の東京と、第6回2014年愛媛大会でもご登壇いただき、そこでの視覚障害者の笑いヨガの実践報告は、たいへん好評でした。

 

医学的失明と社会的失明

私は網膜色素変性症という目の病気です。
失明には医学的失明と、社会的失明という二つの状態があります。

全く何も見えない暗闇のような状態の場合を「医学的失明」といいます。矯正視力が0.1以下だと仕事ができない、夜道を歩くのも難しいですよね。
こうした日常生活に支障をきたすレベルの視力の場合「社会的失明」といい、私はこれに当たります。

 

視力は0.02、調子が悪いと0.01になり、視野は5度程度です。
これは、手元に50円か5円がある方は試していただきたいのですが、目から4㎝離して、真ん中の穴の開いた部分から見えるのが5度です。

 

15~20年ほど前迄は、視力障害と言われていました。今は、視覚障害と言われるようになりました。
それは、視力だけではなく、視野や夜盲という状態や、また眼球が常に震えてモノがダブって見える人がいるからです。いろいろな障害の人を視覚障害ということになりました。

 

こうした視覚障害者の中で、全盲は2割程度で後の人は、いろいろな理由で弱視です。
全盲の方でも、点字を使いこなせる人は、さらにその1割位なのです。

視覚障害者=点字と結びつける人もいますが、これは大間違いで、使える人はたいへん少ないのです。

 

生まれたときから全盲で、子どもの頃から盲学校に通っている人は使えます。
しかし、中途失明の場合はできない人がほとんどです。

僕自身、障害者手帳をもらったのが30代後半で、もちろん点字も習得しようとしましたが、指の感覚は、大人になってからだと難しいのです。
僕の場合はパソコンに走ってしまって、点字はあきらめました。点字は、点字ユーザー間しかコミュニケーションが取れませんが、PCだと誰とでも繋がれるので、結果的に便利で、今では点字ユーザーもパソコンを使っています。

 

 

網膜色素変性症がわかるまで

僕は、小学校の頃から視力がとても悪かったのです。人生で一番視力が良かったときでも0.3です。
それで、小学校や中学校でいじめにあいました。

しかし、友人から芸能界に行けるのではないかといわれ、スクールメイツに入って、踊ったり歌ったりしていました。
そのあとも、バンドをやっていた時期もあり、パフォーマンス全般が好きでした。

 

友人の中の1人が落語家になりたいと言い出し、実際に笑福亭仁鶴さんに弟子入りしました。
その影響で、自分も落語家になろうかと思ったけど、こちらは落伍者になってしまいました。

 

アルバイトでゴンチャロフに入りました。ゴンチャロフの課長の目に留まり、「良く働くな」と言われ、社員になり、12年間勤めました。

 

12年勤めた、ある日会社の帰り道、歩道に穴があって、そこに落ちてしまったのです。
防護柵が4方にありましたが、ちょうどそれが切れているところを通ったようです。すっぽりとはまってしまい、見ていた人がいて大騒ぎになり、引き揚げてくれました。

 

後日病院へ行き、いろいろ検査をして自分の視力が弱い原因が網膜色素変性症であるということが分かったのです。

この病気は、網膜の光を感じる細胞が壊死し、だんだん視力が落ち、やがては見えなくなるのです。
特に夜は見えないのです。30歳のときに、それがわかりました。

 

このままだと、企業に勤め続けるのは難しいと判断し、妻と相談して思い切って会社を辞めることにしました。
社内預金、退職金等全部計算し、5年は生活していけそうだとわかったので、鍼灸師になるために、専門学校に行くことにしたのです。

その頃趣味で始めた気功と太極拳の講師もできたので、生活費はなんとかなりました。

予想もしなかった生活になりました。

 

笑いヨガを始めたきっかけ

網膜色素変性症の患者の会に入り、役員としてお世話をするようになりました。

いろいろな人と知り合い、話をしていきました。

ある時、トイレの中で自分が身に着けていたベルトを外し、首に巻いて自ら命を絶とうとしていた仲間がいました。
ご家族が見つけて、一命をとりとめましたが、これには大きなショックを受けました。

中途失明の人の多くは、今までできていたことが、徐々にできなくなる、何でもやりたいことはできたのに、制限が増えていくのです。
これは、それまでの生活からは想像もつかないような精神的なダメージがあるのです。

 

引きこもってしまった人や、自ら命を絶とうという人をなくすために、何かができないかといつも考えていました。

 

鍼灸マッサージ師として、何かができるかもしれないけど、やっぱり自分と同じ病気で苦しんでいる人たちの役に立つ方法はないものかと思っていたのです。

 

ある日、ラジオで笑いヨガの話を聞きました。
どうしたらこれができるのか、いろいろ調べ始めました。

2010年8月に大阪で日本笑いヨガ協会の笑いヨガリーダー養成講座が開催されるという情報を見つけて、妻と二人で大阪まで出かけ、参加しました。

 

この講座はたった2日間だけ。そして大勢の人が受講していて、わからなかったこともありました。
妻に助けてもらえるとはいえ、二人にとって全く未知のものでした。

 

考えていても仕方がないので、さっそく10月からは、患者の会で始めました。
ありがたいことに、それが13年間続いています。

2015年11月の笑いクラブで笑いの友人と

一番最初の会は、7〜8人だったでしょうか。現在は、ガイドヘルパーと一緒に参加する人もいるので、全員で40〜50人集まってくれます。

視覚障害のある仲間に届けたいと始めた笑いヨガですが、今では盲ろう者の方、パーキンソン病の人、義足の人等いろいろな人が集まります。

盲ろう者の方は、指点字、触手話といった方法で言葉を伝えます。

 

視覚障害のある方への笑いヨガ

視覚障害者の人に笑いヨガをはじめたとき、妻と二人、手探りでやりました。
言葉で説明しようがないところもたくさんあったのです。

 

最初は、相手の手を取って動きを説明したこともありました。
しかし、人数も増えてきて、イメージができる方法で説明できるように工夫せざるを得ませんでした。だんだんと、なんとか言葉だけでみんなが動けるようになってきました。

笑いの体操の選択も工夫しました。

動物とかはイメージしやすいです。
ペンギン笑い、おサルさん笑いというと、そういう動きをしています。最初の頃、どうやって説明したかもはもう覚えていないのですが、できるだけシンプルに説明するようにしました。

 

ミルクセーキ笑いも、「まず、両肩の高さにコップを持ち、頭越しに反対側のコップに移してください」というと、誰でもすぐできるのです。
ポイントを押さえた説明をしたらわかってくれるので、だんだん上手になってきました。

 

気を使いすぎて、いろいろ説明すると、かえってわかりづらくなることがわかりました。

 

コロナ禍でオンラインの笑いヨガがたくさん出てきて、画面だと5度の視野に入るので、いろいろな映像を見て勉強を続けています。

 

みんなの変化

2010年に笑いクラブを初めて3年ほど経った頃に参加された方がいました。
70代の女性で、彼女が家から出るのが怖いのです。

家の近所しか出られず、ご主人が付き添って最初は近所のお菓子屋さん迄、市場迄と少しずつ距離を伸ばし、徐々に出かける練習をして、笑いヨガにも来られました。
バスとエレベーターは大丈夫でしたが、しばらくたってもエスカレーターは怖くて乗れませんでした。
ですが、笑いヨガの仲間が励まし挑戦してもらって、皆で掛け声を出した結果、エスカレーターにも乗れるようになりました。それから、ご主人と一緒にどんどんでかけるようになりました。

 

彼女だけではなく、笑いヨガを重ねていくうちに、生活そのものが積極的になってきた人がたくさんいます。

 

先に話した自ら命を断とうとした人も、笑いヨガに初回から参加してくれました。
しかし、参加しても、声は出なかったのです。でも、続けて参加はしてくれていました。

毎回お姉さんが同行していたのですが、やがてガイドヘルパー制度を利用する手続きをして、家族の手を煩わせることなく、ガイドヘルパーを頼んで来るようになりました。

読書好きの人の場合、読めなくなったことで楽しみが減っていたのですが、代弁朗読をやっている図書館に行き、そこでまた読書を楽しむことができるようになった人もいます。

みなさんいろんなサービスを使い、積極的にいろいろなことをするようになり、お互い情報をシェアしあうようになりました。

僕は見えませんが、妻がいうには笑いヨガを続けていくと、顔つきがどんどん変わってきたようで、中には別人かと思うほど、イキイキとしてきた人もいるようです。

 

目の疾患は、遺伝子の問題が大きいことも多いのですが、進行を遅らせることはできるかも知れません。
眼底の網膜の血流が悪くなるのが一番良くないので、本来は運動が必要です。しかし、視力障害があると、運動はしづらいのです。

 

笑いヨガをすると、来た時より、帰るとき、視野が広い感じがすると言う人が多いのですが、これは気のせいではなく、さぼっていた細胞が、血流が良くなることでまた働き始めるのではないかと思っています。

 

たくさんの仲間と笑っていて、良くなってきた人もいれば、見えなくなった人もいます。
見えなくなった人も、笑いヨガをしながら見えなくなる準備ができていたと思います。

 

月1回の笑いヨガは、何があっても参加しますという人がほとんどで、続けることができて、とても嬉しい思いをしています。

 

ガイドヘルパーさんを含めると50人の大所帯となってきて、もっともっと笑いヨガに出会って元気になってくれる人を増やしたいと思っていますが、会場探しは大変です。

 

これから

ヘルパー2級の資格を持っています。視覚障害者が受けてはいけないというルールがなかったので、受講したのです。

実習で障害者施設に行かせてもらいました。
笑いヨガリーダーだというと、笑いヨガをやってくれという話になりました。

19歳の男性で、発語できない方がいたのですが、笑いヨガをやっている最中、声が出て、顔がピンク色になったのだそうです。
職員が「こんな顔見たことない」と驚かれ、研修は2日間でしたが、2日目も笑いヨガをやらせていただきました。

どこでどんな効果がでるかはわかりません。
この経験から、どこでもお声がけいただいたところには、行ってやるべきだと思ったのです。

視覚障害者の笑いヨガから始まりましたが、高齢者施設や、他の障害のある方々の団体にも呼ばれるようになってきました。
こうした経験は、視覚障害者の活動にも活かせていると思います。

 

ラジオを聞いて知った笑いヨガをすぐに調べ、笑いヨガリーダー養成講座に参加し、笑いクラブもすぐに作りました。
患者会の仲間のために、何かできないかと他にもいろいろ考えていたけど、これで間違いなかったなあと思います。

今日は、笑いカフェにお招きいただき、本当に有意義な時間を過ごさせていただきました。

笑いヨガという核兵器にも相当するものを得たのだから、あまり考えずに、どんどん出ていって行動してください。

ありがとうございました。

 


質疑応答もたいへん盛り上がり、「濱田さんのリードで一緒に笑いたい」という意見が多数出てきました。
イベント開催して、全国の人が一緒に笑えたらいいなあと思っています。

 

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