(笑い人)私が出会った本物の笑顔~セカンドキャリアとしての笑いヨガ

第2の人生を選ぶとき、何を一番重視するのでしょう。

自分は先の人生、何が好きなのか、何をやりたいのだろうか。

真摯に自分と向き合った結果、選んだのは「笑顔」でした。

今も看護師として働き、そして「笑顔」を仕事とした髙岡雅子さんのお話を、2021年3月20日のオンラインサロンルナ会(月例会)で伺いました。

 

出会い

 看護師を志したのは小学校6年生の頃でした。理由は、祖母のお見舞いが大好きだったからです。
病院に行くと、ツーンと鼻に響く香りがします。
学校の保健室にあるあの消毒液の匂いなのですが、あの匂いが大好きだったのです。

 病院にいくと、祖母の世話をしてくれる看護師さんが、優しい笑顔で声をかけてくれるのですが、その看護師さんからもその香りが漂ってくる気がして、白衣のワンピースとサンダル履きで働くその姿に憧れを抱くようになりました。

 看護師になってから、母がなぜ祖母の見舞いに姉ではなく私を連れていったのか、不思議に思って母に聞いたことがあります。
すると、「雅子は優しいからね」と言ってくれ、私は母に導かれて看護師になったことに気づき、ずっと感謝をしています。

40年を超える看護師生活

 18歳で看護学校に入学し、生涯の親友2名に出会います。
上京し寮生活が始まりましたが、新潟から来た私と秋田から来た彼女たちは、寮生活も一緒で、卒業後の大学病院でも42年間共に働きました。

お互い夢を語り合い、いつでも支え合い、励まし合ってきました。
今は、会えばお互い「物忘れがひどくなった」「白内障の手術をしなきゃ」といったお互いの健康を気遣いあう関係になってしまいましたが、親友たちと一緒に働けたことが、本当に幸せなことだったと思います。

看護師としての第一歩

 私の時代は、今のような新人のオリエンテーションはありません。
先輩の後について、患者さんに迷惑をかけないよう、他の人の足を引っ張らないよう、無我夢中で仕事を覚えました。

最初の指導は消化器外科病棟で、新人には厳しい職場でした。
患者の前では泣いてはいけないと言われたけど、お別れでは泣いてしまったことがありました。身内の死に直面したことはなかったのですが、命の重みが日々迫ってくるのです。

大学病院ですから、厳しい状況の方がたくさん来られます。先輩の指導も厳しかったし、研修もちゃんとあったのですが、患者さんから痛みを訴えられても、「注射しましょうか」としか言えず、何度も「患者の気持ちをわかって看護しているのだろうか」と「不安や恐怖に応えられているのだろうか」と反省しながら、がんばりました。

故アルフォンス・デーケン先生の「人間の生と死」の勉強会に参加したり、後輩の指導にあたったりするうちに、人の命に向き合う看護師の仕事に誇りを持つようになりました。

最盛期の仕事

 13年が過ぎた頃、手術室へと異動になりました。手術室での仕事は別世界でした。

新人看護師になったつもりで、手術器械・材料を覚え、診療科別手術手技を必死で勉強しました。ここでは、患者さんの命を救いたい!の一心で、医師と看護師がチームになって働くのですが、ものすごい緊張感と達成感がありました。日本手術室看護学会や手術部医学会で、研究発表をしたり、手術看護基準の編纂をしたり、手術室の感染管理を学ぶために海外出張を経験したりもしました。

病院では年間7000件もの手術があり、とても大変でストレスも苦労もありましたが、命の最前線で働く使命感と達成感もあり、人生の中で心を奮い立たせて働いていた全盛期だったかも知れません。

その後呼吸器内科・外科病棟に異動した際は、終末期の患者さんと接することもあり、以前学んでいた「死の心の準備をする大切さ」を臨床現場で傾聴することで、理解することができるようにもなってきました

 こうやって、私はずっと白衣を着て過ごしてきました。ナースキャップをかぶるのに、ピンでとめるので私の頭のてっぺんには今でも小さな禿があります。これは、私にとっての勲章です。

ナースキャップをかぶると、背筋がのびます。今はもうナースキャップはかぶりませんが、今でもそっと頭に触れて、禿を確認して誇らしさを感じることもあります。

ナースキャップ

セカンドキャリアを考えるきっかけ

 大学病院は、10年毎に勤続表彰を福利厚生としてお祝いしてくれていました。勤続30年のお祝いでは、仲良し3人は師長になっていて、それぞれの職場で自分の成果を発揮できていました。「あと10年で定年だね」といいながらも行く末を考える時間の余裕はなかったのですが、聖路加看護大学の日野原重明先生の講演を拝聴し、「自分らしく生きること」が使命であると感じたのです。先生は「モデルを探し、モデルに学びなさい」とも言われました。

そこから、自分のモデル探しをしようと思いました。看護師の仕事にやりがいと誇りはもっていました。看護のこと、病院のことは知っているかも知れませんが、外の世界のことはよく知らないという自覚はありました。そうして、50歳の節目で本を読み、「人生の生き方のモデル探しと自分探し」のために、積極的に学ぶようになりました。

 

セカンドキャリアの準備

セカンドキャリアの準備のために、まずは自分と向き合う経験をしてきました。看護師の経験しかありませんが、自分の強みや患者さんから学んできたことはあるはずです。どうせなら、自分が楽しいことをしたいと思いました。

 地域でお役に立ちたいと思ったので、手話と視覚障がい者のガイドヘルパーの資格を取りました。

コミュニケーション力はあるはずだから、親と子の人間関係、介護する人の人間関係に関するサポートもしたいとも考えていました。そこで、傾聴ボランティアをやろうと思い、その技術を学びました。傾聴は、看護師としても大切なことです。地域の施設入所の高齢者のお役に立つために、「さんさん」という傾聴クラブを作り、活動を始めました。

入院されている患者さんの癒しになればと考え、大学内にあった「癒しの環境研究会」が主宰する笑い療法士の資格も取り、そこで笑いの勉強がはじまりました。

思いつくままにいろいろやってきましたが、何をやればいいのかと模索している最中に、出会ったのが笑いヨガでした。認知症カフェで、笑いヨガをやった人に出会いました。

普段あまり表情を見せない認知症の人が、どんどん笑顔になっていく様子をみて、これは「タダゴト」ではないと感じたのです。

笑いヨガで変わった

 すぐに当時水道橋駅前にあった日本笑いヨガ協会のスタジオ、笑い場に出かけました。大柄なインド服の女性が笑顔で迎えてくれました。
後から知ることになるのですが、その方が代表の高田佳子さんでした。

中にはいると、カラフルなTシャツの人たちがいて、驚きました。 

笑いヨガティーチャー養成講座2018

実は、以前コミュニケーション講座に参加したとき、「笑顔がない」と言われたことがあります。
そこにいる人たちが明るく元気で若干の違和感はありましたが、皆さん笑顔がいいのです。

 そこで、私は笑いヨガリーダー養成講座を受講しました。たった2日間の講座ですが、最初に会った高田佳子さんが、本当に楽しそうな笑顔で皆さんと話をしているのです。
それを見て「本物の笑顔に出会った」と思ったのです。彼女の笑顔を見て、目標にしていた人生のモデルかも知れないと思いました。

たった2日でしたが、私の長年の肩凝りやストレスが消えていて、その効果に驚きました。
私は看護師です。
きちんと笑いの健康効果の根拠を踏まえて伝えたいと思いました。
もっと研究し、学ぶために、笑いヨガティーチャー養成講座にも講師塾にも参加しました。

そして、コロナ禍で閉鎖されるまでは、毎週水曜日の夜「水道橋笑いクラブ」に通いました。
そこでは、私がそれまでの人生で出会った人たちとは全く違う、サラリーマンの人たちのストレスも垣間見ることができ、社会勉強にもなり、とても楽しかったです。

 気づけば、私自身も自分の心の切り替えがすごく早くなっていました。地域に笑いヨガの仲間もでき、「身体も心も変わる健康体操」である笑いヨガを傾聴とともに、人生の集大成としてセカンドキャリアをこれで歩むことにしたのです。

地域に笑顔と成果を

 定年退職を迎え、やはり自分の強みは看護師の経験ですので、傾聴が生かせる自宅近くの急性期の病院へ転職しました。高齢者が住みなれた生活の場で療養していくために、医療と生活支援サービスをつなぐ多職種連携が大切です。傾聴活動の有効性が再確認できました。
現在は、患者相談室の窓口を担当し、医療・看護・介護・福祉・生活と幅広い課題に対応し、自分の経験や知識を活かせる充実した毎日を送っています。

勤務先の病院で、笑いヨガをしています。1回40分ほどの運動ですがけっこうな運動です。
終わったあとの反応がとても楽しみで「気持ち良かった」「痛みが楽になった」「よく眠れる」と言っていただいています。また、終了後はみなさん元気な足取りになります。

ご家族にも参加していただき、患者さんの日常生活動作を知っていただき、変化を知る機会にしていただいています。
患者さんの情報という意味で、スタッフの参加も大切だと考えています。

地域の活動場所として、介護施設、デイサービス、認知症カフェなどでも行っていますが、交流の楽しさも大きいので、回想法も活用しています。

「みんなといると、楽しい!」「元気が出た!」「声がでるようになった」「ご飯が美味しい!」といった声が聞こえてきます。

 退院しても、笑いヨガが継続できる場として、誰でもが一緒に笑える「滝野川笑いクラブ」を始めました。同時に、地域のイベントに仲間と一緒に出向いていって、知っていただく活動もしています。

セカンドキャリアとしての笑いヨガ

 私は看護師としての教育を受け、資格を取得した後にその価値を高めていき、自分らしいスタイルでそれを広めてやりがいを持って仕事をしてきました。そういう意味では、セカンドキャリアは最初の仕事と何ら変わりはありません。

 しかし、私はセカンドキャリアに向けて定年まで自分のできる準備を精一杯やろうと新しいことにチャレンジしてきました。

 お金も時間も必要ですが、それ以上にエネルギーが必要です。エネルギーを注ぎ続けて自分磨きをするためにも、「楽しい」「大好き」と感じることが大事です。

「人は楽しいから笑うのですが、笑うから楽しくなるのです。笑いヨガは、笑う動作を続けていると、脳が「楽しい」と感じて心も身体も活性化するということを、体験から実感しています。

そして、笑う生活習慣があると、私が目標にしてきた自然な笑顔が生まれ、それが周りを元気にすることを実感しています。

自分の好きなものを食べ、毎日公園まで歩き、友だちとおしゃべりする。普通のことです。
この普通ができなくなってくるのが、老化というものです。

私を看護師へ導いてくれた母は現在96歳で認知症もあり、施設で暮らしています。母には本当に感謝しています。

母と

人生の最期まで、笑って元気を奮い立たせる笑いヨガを広める仕事をしながら、楽しい人生を送りたいと思っています。

 

 

過去に掲載の笑い人シリーズ
笑い人1 “笑い”が拓いた私の未来  「がん」も「うつ」もこれひとつで克服できた
笑い人2 私を“脱皮”させてくれた笑いヨガ
笑い人3 “笑い”でつながりが広がる
笑い人4 笑って、笑って!歌と笑顔で心を満たす笑いヨガティーチャー

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