一歩前に進めたら広がる世界
オンラインサロン笑い道の2023年6月のルナ会(月例会)担当は、佐賀県に住む中町美佐子さんでした。
中町さんは、2021年11月にオンラインで笑いヨガリーダーになりました。
グループで笑う笑いヨガセッションを体験したことは無いのですが、地域で笑いヨガの活動をしています。
どのように笑いヨガに出会い、活動につながったのかというお話をお伺いしました。
笑いヨガで余裕の無さに気づいた
佐賀に住む中町美佐子です。現在52歳です。
私が笑いヨガに出会ったのは、6-7年前のテレビの朝の情報番組です。
観たというよりは、家事をしながら流れていたテレビ番組が気になったのです。
当時は子育てまっさかり。朝は弁当をつくり、家族を送り出し、自分の出勤準備もあって常にバタバタ必死でした。
そんな中、朝の情報番組で笑っている団体を見て、彼らの表情が豊かでイキイキしていたのがとても印象に残ったのです。
元々は、元気で明るい私です。
しかし、テレビ番組を見て、自分はしばらく笑ってないと気づきました。
もちろん、社会人として人に笑顔で接するし、もちろん笑っています。しかし、自分の笑顔はいつしか必要に駆られてつくったもので、本当には笑っていないのではないかと思ったのです。
そして、日常生活の中で、私の本心は「プリプリ」「ムー」「イラ~」で埋め尽くされていることに気づいたのです。
平日は、仕事やPTA役員等でとにかく忙しくしていました。土日になっても、子どもたちの部活の当番や送迎もあり、ハードな生活だったのです。
淡々と目の前にあることを、ただ必死でこなしている状態でした。
家計のために仕事をしているだけ。自分の今の生き方が、イヤでイヤで仕方がなかったのです。
ストレスマックス状態だった頃、心から笑っていないことにテレビを見て気づいたのでした。
笑いヨガが近所にないかと探しましたが、スムーズに見つかりませんでした。
インターネットで調べてメールをしたり電話をかけたりと、なんとか笑いヨガを体験しようと試みたのですが、うまく連絡を取ることが出来ず、時間だけが経っていました。
それでもあきらめずに時々笑いヨガを検索していました。そして、高田佳子さんを見つけたのです。
その風貌に、他人ではないような親しみを感じました。
友人に見せたところ、やっぱり「よく似ている」と言われ、とても気になっていました。しかし、佐賀から離れて東京や他の土地に行くことは考えられませんでした。
そのまま時間が過ぎ、コロナ禍が始まってしまいました。
笑いヨガリーダーになる
コロナ禍に入って、家にいる時間が増えました。
これは、皆さんも同じだと思います。
やはり気になっている携帯やパソコン見ている時間が増え、また笑いヨガの情報に触れました。
そこで、オンラインの笑いヨガリーダー養成講座を見つけたのです。
これならば、佐賀の自宅に居ながら笑いヨガリーダー養成講座を受けられます。
すぐに申し込み、2021年11月に笑いヨガリーダーになりました。
11月にリーダー資格をいただいたものの、実際のところどうやって笑いヨガを始めたららいいのか、わかりませんでした。
とにかくやろうと考え、公民館で場所を取り、友人に声をかけ、笑いヨガをやってみたのです。
しかし、コロナ真っ最中。
フェイスシールドを付けてやっていたのですが、本当にこれでいいのかどうか、確信が持てませんでした。
何しろ一度も笑いヨガセッションに参加したことがないのです。手探りでやってみたものの、自分の中で腑に落ちず、モヤモヤしていました。
”おばちゃん業”で稼ぎ、イザ富士へ!
当時、私は県庁の臨時職員で秘書をしていました。
その他にも イベントや式典等司会の仕事や、テレビ番組、CM等ナレーションの声の仕事をしたり、出役としては おばちゃん役の仕事もしていました。(今も現役!)
おばちゃん役というのは、役者というほどではないのですが、テレビの通販番組や町の街頭インタビューのような「おばちゃん」が求められるテレビ番組のおばちゃん役やドラマや映画のエキストラです。
とにかく、家庭の収入のために働きずくめでした。
そんな私を見て、母は自分の若かった時がそうあったため、常に私の体を心配していました。
笑いヨガを始めたものの、モヤモヤしていた時、2022年の笑いCamp22の案内が届いたのです。
とてもタイミングよく、再放送料の臨時収入がありました。
プロおばちゃんの仕事でたいへんありがたいのが、テレビ番組で再放送される際に、また出演料が入ることがあります。
私は迷わず「これは行きなさいの意味だ!」と勝手に解釈し、山梨県富士吉田市での笑いヨガのイベントに参加することにしたのです。
自分のご褒美に、エステに行くとかバッグ買うとかという選択肢はなく、笑いヨガ!と即決したのです。しかし、ワクワクよりドキドキが勝ってました。
佐賀は車移動が便利なところ。
公共交通機関には、慣れていなかったので 福岡空港から羽田まで飛行機に乗り、モノレール、JR、そして東京駅から富士山まで長距離バスに乗るのです。本当にドキドキしっぱなしで、目が泳いでいたかもしれません。
富士山と言えば世界遺産にもなった観光地です。
なんとか無事にバスに乗れたので、富士山駅というところで降りたら、すぐわかるだろうと思っていたのです。
しかし、降りてみたら自分の住んでいる町よりもっと田舎でした。
バスもタクシーもいません。
キョロキョロしていたら、オンラインサロン笑い道の画面でお見掛けしたことのある顔をみかけ、話しかけてみました。
愛媛から到着した玉井千恵さんでした。
ちょうどタクシーを呼んで待っているとのことで、同乗させてもらっい、無事会場までたどりつくことができました。
私たちは若干遅れての到着で、イベントはすでに始まっていました。
皆さんから「よくきてくれたね」と声をかけたら、ホッとしました。
私は笑いヨガをやっているといっても、佐賀の自分の仲間とだけです。
オンラインサロンも、仕事があるのでライブイベントにはなかなか参加できないのです。
温かく迎え入れらても、一人でモジモジしていたと思うのですが、元気でフレンドリー、とても前向きな人に囲まれ徐々に気持ちがほぐれていきました。。
全国から集まっている人の中には、80代で2023年の全国笑いヨガ大会福島の実行委員長の関口恭代さんや、90才の岐阜の男性もいて、皆さんとても積極的です。年齢や経験の壁はなく、2泊3日があっという間に過ぎました。
母との別れ
富士の笑いCamp22は、私にとっては、たくさん吸収することがあると同時に、いろいろな意味で「脱皮」の場でした。
笑いヨガのやり方でも脱皮を経験しましたが、何よりチャレンジの姿勢が変わりました。
佐賀に帰ったら、どんどん積極的に笑いヨガ教室をやっていこうと思っていました。
その矢先、母が11月30日に亡くなりました。
母は49才でパーキンソン病を発病し、27年間闘病生活でした。
同居していた父の母(継母)もパーキンソン病で。自分が看病して看取った数年後の発病でした。
だから、この病気の経過を良く知っていました。
母は私が小学生のとき、通信大学で司書資格も取得していて、自分のやりたいこと、やるべきことだと考えたことは、チャレンジしする人でした。
病気になってからも、とても前向きな母は、自分の生きた証を残すと今まで以上に執筆活動に励み、随筆、小説、童話などなどいろいろ書いていました。
また、声がでる限り、人の役に経ちたいと考え、点字図書館で音訳ボランティアとしても活動していました。
緊急搬送されて1年3か月入院しました。
残念ながら、コロナ禍なので、ほぼ会うことはできませんでした。
最後は発語もできず、話すことができませんでしたが、頭はしっかりしていました。
そして最期の最期のまで、母らしい背中をしっかり見せてくれました。
本当に頑張り屋さんの母の背中を見て育ったので、私も母のチャレンジ精神を引き継げたと思います。
実は、キャンプへ行く時、母の容態が気になり、行くのを躊躇しました。
しかし母が「行ってきんしゃい、大丈夫けん」と言ってくれているような気がしたので、「よし!がんばってキャンプに行こう」と思えたのでした。
残念ながらその月の終わりに母は旅立ちました。
家計のためにいろいろな仕事をしている中で悶々とする日々が続き、何かをしなくてはいけないと考え、笑いヨガのリーダー養成講座に参加しましたが、同時期に以前から気になっていたお香の勉強も始めていました。
香りで癒されたいと体験会に行くうちに、お香作りを教えられる香司になりたいと思い、こちらも資格を取得しました。
母の亡骸をみながら、母に持たせるお香を作りました。
母に合うお香の材料(香原料)を選び、匂い袋のお香を5個作りました。2個は母に持たせ、残りは私達家族が持っています。
住む世界は離れたけど、同じものを持つことでいつも一緒にいるような感覚になり、母からの応援を受けているように感じています。
「中町美佐子笑店」の開業
家庭だけのためにただひたすらにがむしゃらに働いていたように感じつつも、県庁の臨時職員は副業OKだったので、秘書をしながら好きな仕事のおばちゃん業だけではなく、いろいろな好きな活動にもチャレンジもし、「中町美佐子商店」もはじめました。
でも、やはり副業。できる範囲のことをできるだけやっていただけでした。
母の死をきっかけに、私なりに色々考えもっともっと「中町美佐子笑店」として積極的に活動したいと思い、3月末でスパッと仕事を辞めました。
笑いは、私の人生の中で大切なものです。
お母さんが笑っていると、家庭が明るくなります。
だから、子育てをしている若い家族に届けたいし、母と笑いヨガができなかったのがとても心残りですが、その分、人生の先輩の高齢者の皆さんや難病の皆さんにも、笑って元気に過ごしてもらいたいと考えています。
ご縁があってお香の先生(香司)をしていますが、笑いも香にもあるリラックス効果は、多くの人の役に立てるはずです。
自分がやっていること全てが「中町美佐子笑店」ですから、ご縁があることはやっていきたいと思っています。
まだまだ佐賀では笑いヨガの認知度は低いので、一人で営業に回ったり、カルチャーセンターの講師登録をしたりしています。
地道に笑っていると、少しずつですが町内の勉強会や、高齢者大学の100人規模の場等、お声がかかるようになってきました。
「頼まれごとは、試されごと」と言う言葉を思い出し、経験は少ないのですが、どんなご依頼でも、快くお受けしているうちに、少し自信もついてきました。
ひとつひとつチャレンジを積み重ねていき、いずれは笑いヨガティーチャーの資格も取得し、全国を回りたいと思っています。
母が、「あんたらしい仕事があるやろうと」背中を押してくれたような気がして始めた「中町美佐子笑店」ですが、ここに絞って活動することができて、本当に良かったです。
もちろん収入のことだけを考えれば、臨時職員を続けていた方が良かったのですが、後悔はしていません。
自分を生かせる、自分に合った好きな仕事ですから。
“笑涯現役”でがんばります!
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