(笑い人)小さなチャレンジを積み重ねたい

小さなチャレンジを積み重ねたい

 

2023年5月のオンラインサロン笑い道の月例会(ルナ会)は、2009年4月に大阪での笑いヨガリーダー養成講座を受講され、日本笑いヨガ協会の大阪パートナーとして笑いヨガを長く続けている大阪の池川成子さんが話題提供者でした。

「まとまった話はできません」と言われる池川さんは、思い出すために写真を集め、ご自身でCanvaを使ってかわいいデザインにまとめてお話してくださいました。

Canvaで作成したスライドの表紙

 

本業は、“歩く”のサポート

笑いヨガに出会ったのは2009年。
本業は、生涯自分の足で歩いていただける方法をお伝えする仕事です。

 

靴屋とノルディックウォークの指導をしています。

靴屋は、予約制でお客様お一人お一人のフットプリントや計測で足の形を確認し、それに基づきアドバイスをして靴を販売するというスタイルです。

 

最初からそうだったわけではありません。私が23歳で父がやっていた靴屋を継いだときは、普通の靴屋でした。
夫と結婚し、夫も一緒にやってくれることになったとき、彼の個性が活きる靴屋に方向転換したいと思っていたのです。

 

 

2004年位から、今の形に変えたことで、本当に良いと思うものだけを扱い、勧められるようになりました。

夫はその人の足にあうように、既成のインソールを加工・調整したり、オーダーでインソールを作ったりします。

私はそんな仕事のサポートをしています。

靴だけではなく、2本のポールを使って歩くノルディックウォークの講座で指導をしたり、みなさんと一緒に歩いたりしています。 

靴ひもを足に合わせておくのはとても大切なのでついつい結んでしまいます

 

笑いはスカッとする!

高田さんとは2005年に出会いました。

当時、彼女はケアリングクラウン養成講座を主宰していて、それを受講しました。
1年間のコースですが、2005年に大阪、2008年に広島で同講座を受講しました。

何故ケアリングクラウン養成講座に参加することになったのかをお話します。

 

ケアリングクラウンは、病院や被災地といったケアの必要な人のところに笑いを届けるという活動ですが、それに興味があったわけではありません。

ケアリングクラウン養成講座を知ったのは、主治医の先生に薦められたからです。そのとき、たまたま時間の余裕がありました。それまでは、連続介護でした。家族の看取り、同時に子育てもしていたのが一段落つきました。靴屋の仕事も夫中心になったというタイミングだったのです。

末息子が小学校に入ったとき、学校のお手伝いで担当になったのが劇団カッパ座でした。ポスターを貼ったりチケットもぎり等のお手伝いをするのです。


ご案内等の人前に出る仕事もあるのですが、私はしゃべるのが苦手でした。
「だったら着ぐるみをきてみたら」と勧める人がいて、やってみたらとても楽しかったのです。

それまで私は「人前にでるのは緊張するとばかり言ってました。

きっかけさえあったら、もっと開放的になって知らない人とも話ができるかもしれないという気持ちになれたのです。

 

着ぐるみとケアリングクラウンは全く違うものですが、共通点があるような気がして、せっかく薦めてもらったので、学ぶことにしたのです。

 

ケアリングクラウンは、赤い鼻をつけて登場するだけで、場の空気をサッと変えられるのです。

実際に目の前で見ることができました。

学んだからすぐできるわけではないのですが、講座を受講するだけでも開放感を感じることができたのです。

 

自分が大事にかぶってきたバリアが取れたような感じがしました。

写真提供:トンちゃん一座

クラウンは、普段の自分と違う姿になれる存在です。しかし、それには自分を客観視する必要があるのです。
自分っていったいどんな人なんだろうと考えるきかっけとなりました。

また、「ケアリングクラウン」という名前にも惹かれました。祖母や両親を見送った後だったから、ケアというのは、どういうものなのか、ゆっくり考えてみたいと思ったのです。

この体験で、本物のクラウンに会えました。
また、映画パッチ・アダムスの本人にも会えました。病院に彼らが出かけていったら、病人だけではなく、病院のスタッフも変わります。いろいろな可能性があると思いました。

クラウンメイクもしました。
メイクをしたまま、外を動き回ったのですが、ドキドキしながらもとても開放感があり、楽しい体験でした。

このケアリングクラウンを指導してくれた人の一人がクラウンのショビ・ドビです。彼女は、何回もアメリカから来日してくれました。

笑いヨガの方が日本人には向いているのではとアドバイスをしたのは彼女です。

 

 

笑いヨガのはじまり

2008年のケアリングクラウン養成講座のコースの終盤で、高田さんがその講座の始まりに、笑いヨガをちょっとだけやりました。
短時間でしたが、スポーツをやった後みたいにスカッとした気分になったことだけ覚えています。

高田さんはショビ・ドビのアドバイスに従い、笑いヨガの講座を受講し、2009年1月インドまで行き、笑いヨガティーチャーの資格を取得し、即座に笑いヨガに本腰を入れました。 

2009年2月に東京、そして4月には大阪でも笑いヨガリーダー養成講座を開催したので、そこに参加しました。こちらもめちゃくちゃ楽しかったです。

2009年リーダー養成講座を受講後、高田さんはケアリングクラウンのイベント等で大阪に来る際に大阪中之島の図書館の前あたりで淀屋橋笑いクラブを始めました。

 

私はそれを受けつぐことになり、毎月1回笑いクラブをやりました。
不思議なのですが、笑いヨガをはじめて、どんどん元気になり、日々元気ですごせるようになってきたのです。

 

2010年に、2回目の笑いヨガティーチャー養成講座が大阪で開催されました。佐々木真紀さんと一緒にスタッフとして参加したことで、笑いヨガとの縁が強固なものとなり、今も続いています。

2010年大阪で佐々木真紀さんと

 

佐々木真紀さんには、スタッフの仕事を教えていただきました。
私だけだったら慌ててパニックになるようなことも、冷静にこなし、動じることなく前もって準備するのです。

私よりずっと若いのですが、朝早く起きて合宿参加者のために場をつくるために動くというのを見せてもらいました。

 

大阪での笑いヨガ活動

淀屋橋にはいろいろな人が参加し、いろいろな経験ができました。

2012年に中村経子さんに引き継いで、1年間クラブはお休みしました。

その後、私は地元の南河内で笑いクラブを始め、孫が7か月の頃は歩行器で参加もできる場所を探し、ずっと笑いヨガを続けてきました。

5歳頃迄は、ずっと一緒に笑いクラブに来てくれました。

コロナ禍がはじまるまでは、地域の人たちと、楽しく笑うことができました。


日本笑いヨガ協会が大阪や神戸での笑いヨガリーダー養成講座を開催するときは、スタッフとしてお手伝いしていました。

 

受講者が忘れないよう勉強する場が必要だと感じ、大阪に高田さんに来てもらって、勉強会や体験会を兼ねた大阪888笑いクラブを始めました。

弁天町からスタートし、梅田で長くやっていました。

いろいろな人が参加してくれて、とても楽しい学びの場でした。
リーダーになった後、笑える場が少ない人や自分の笑いクラブのために勉強に来る人もいました。神戸・奈良・和歌山からも参加者がいて、毎回盛り上がっていました。

大阪888笑いクラブの様子

私は食べるのが大好きです。
高田さんは飲むのが大好きですが、一緒に美味しいケーキを食べたり、飲まない私もちょっと一杯につきあったり、美味しいラーメン屋に夜のも楽しみのひとつでした。
コロナ禍で、こうした楽しい活動は全ていったん中止になりましたが、本当に毎回楽しかったです。

 

2023年6月からは、また私が淀屋橋笑いクラブを担当することにし、淀屋橋888笑いクラブという名前で毎月第3金曜日午後2時から開催します。

日本笑いヨガ協会のSNS等でもご案内します。

 

 

小さなビックリの繰り返し

淀屋橋笑いクラブ、地元の笑いクラブ、大阪888笑いクラブのそれぞれで、いろいろな出来事がありました。

ひとつひとつは本当に些細なことですが、愉快な出会いがたくさんありました。

 

また、2012年は関西テレビの「よ~いドン!」という番組の「となりの人間国宝さん」のコーナーで我が家にレポーターのはちみつさんがやってきました。家族で笑いヨガをやっている取材をされ、笑いヨガも注目されました。

 

また、大阪大学医学部(当時)の大平哲也先生と一緒によしもとの舞台に立たせていただいたこともあります。

私は人前で話すのが苦手で、緊張する性格だったはずなのに、テレビや吉本の劇場で笑いヨガをやったり、今では屋外で笑いヨガをやるのも平気になりました。

話すことが上手ではないのですが、やること自体が楽しいのです。
気持ちが解放され、自分がやりたいことを素直にやれるようになっていることが、嬉しいのです。

 

私は鹿児島や愛媛、広島、福岡に行ってリーダー養成講座を受講したり、スタッフをしたり、体験回数はとても多いと思います。

 

毎回そうなのですが、笑う前の表情と、終わった後の元気になる様子が印象的です。昨日まで知らなかった人が、講座の2日間一緒に過ごすことで、ものすごく仲良くなる様子も見ています。その変化に、いつもビックリさせられるのです。

 

リードする人によって、笑い易かったり笑いにくいと感じていることを、自分の目で確認できました。私自身、できたら笑い易いリードができる笑いヨガティーチャーでいたいと思っています。

 

年齢を重ねるということ

2019年には、「大阪10歳若返りプロジェクト」が大阪府八尾市の2か所のコミュニティセンターで開催されました。

地域住民を集め、笑いヨガを10回提供し、ストレス、糖尿病の指標となるヘモグロビンA1c、血圧などの変化を測定します。

私が何年も通っていたコミュニティセンターで開催され、大阪の笑いヨガ仲間の方々に協力いただきました。

2020年2月に結果発表があり、それに続いて参加者が定期的に笑える場として、笑いクラブをやる予定がありましたが、コロナ禍でその話は消滅してしまいました。


コロナが始まり不安もありましたが、すぐにオンラインサロン笑い道ができ、大阪888笑いクラブに参加していた仲間を募って「一緒に笑おう大阪」もできました。仲間と毎週1回笑ったり、888笑いクラブとして全国の人とオンラインで笑ったりという機会が作れました。

 

コロナでも笑いヨガが継続でき、いつでも笑いヨガに参加できる安心感は、とても価値あるものだと思います。

 

今はオンラインサロン笑い道で知ったChatGPTを活用し、オンラインイベント告知のためにCanvaを使って自分でいろいろなものをデザインして楽しんでいます。

 

もちろん年相応にしかできませんし、こけながら、チャレンジを続けています。
新しいパソコンの使い方は一人では難しいこともありますが、笑うことも全く同じでやっぱり仲間と一緒にやるのがいいです。

 

だからこそ、仲間を大切にしなければいけないわけですが、一番大切にするべき仲間は夫です。
夫は、テレビ取材がきっかけで笑いヨガリーダー養成講座を受講したものの、一緒に笑いヨガをすることは、ほとんどありません。

2012年の新年の目標として、夫を大事にすることを決めたのですが、さてどうやって大切にしとうかと考えたとき、家で毎日できることがいいと思いました。

 

そこで、夕食後毎日2人でオセロをしています。

 

一人の趣味も見つけました。
2020年「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」として、特別定額給付金10万円の給付がありましたが、私はそれで電子ピアノを買い、習い始めました。

 

足や指先を使うことは認知症予防に良いらしいのですが、足の方はプロです。ピアノは初めての体験ではありますが、1回だけ発表会にもでました。

悲惨な結果でしたが、結果よりもチャレンジした自分を褒めてあげたいと思います。
今回作成したCanvaでつくったスライドを、夫に見せました。

それを見て、私が笑いヨガをやって変わったこととして、「夫に優しくなった」と夫が言ってくれました

過去に腹が立ったり理不尽に感じることがあったとしても、時間が経つと、良い経験だったと「思い出」に変わっていきます。

今日は、13年分の話を短く端折ってお話し、とりとめもない話になりました。
改めて振り返ると、良い思い出だらけだったと思います。

小さなチャレンジいっぱいの13年、これからもチャレンジは続けて行きたいと思います。

ありがとうございました。

 

池川さんの靴屋さん i・i・KOOK(アイ アイ クック)

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